2024年3月京の冬の旅に行ってきました~(^^♪

非公開文化財特別公開のうち紫式部源氏物語ゆかりの地を訪ねて~

★蘆山寺「京の冬の旅」37年ぶりの公開です。

京都御所のほど近く、1000年の歴史を誇る蘆山寺は『源氏物語』の作者紫式部が育った邸宅と言われています。

江戸幕府の御用絵師・住吉廣尚筆「若紫」図

この場面は可愛らしい女の子を垣間見るところです。光源氏は将来自分の妻(紫の上)にしたいと思い幼い少女・若紫を引きとり育てました。

その父住吉廣行筆「絵合」の図(源氏物語第17帖 今風の絵と古風な絵との対決の場面)

 

その他与謝野晶子の自筆の和歌「源氏物語礼賛」や本堂前の白砂に州浜形の苔と桔梗のお花を配し『源氏物語』の世界を表現した優美な「源氏庭」などが公開されました。(桔梗のお花が咲く時期は6月~9月頃です。)

 

 

東本願寺 渉成園枳殻邸)(しょうせいえん(きこくてい))

渉成園は「京の冬の旅」51年ぶりの公開,

光源氏のモデルの一人と言われている源融(みなもとのとおる)ゆかりの名勝庭園。

★園林堂(おんりんどう)「京の冬の旅」初公開

ここは阿弥陀如来像を安置する持仏堂です。

棟方志功の肉筆の襖絵44面を拝観しました。

 

その後ランチへ

京料理「ちもと」でお雛様拝見と雛御膳をいただきました。ちもとのお雛様はさる宮家のお雛様の予備に造られたものとのこと。さすが宮家、とても見事でした。ほんの一部ですが、しばし目の保養にご覧ください。

ネズミの横にネズミ捕りのかごが~~~!



お料理は伝統的な京料理。お味も優雅、次々と出される手の込んだものばかり。ひな祭りらしく美しく可愛らしい器にも見とれてしまいました。

 

今日一日は経験がないほど京を楽しみ、思い出となる素敵な日となりました。

 

2024年3月「古代メキシコ―マヤ、アステカ、テオティワカンー」展(5月6日(月・休)まで)

古代メキシコの「赤の女王」(7世紀後半)に一目会いたくて~~~行ってきました。

美しい赤!ここは夢か幻か~~神秘の世界にしばし浸ってきました。

そしてランチはメキシコ料理とデザート(テオプロマ・カカオ「神様の食べ物」)。

今日1日は私のメキシコデーとなりました。

 

 

全作品写真フリーでした。やったー!

 

1994年に発見されたマヤ文明・王妃の墓。そこは真っ赤な辰砂(水銀朱)におおわれた部屋。

そして真っ赤な棺の中に眠っていたのは王妃。

パカル王(620-683年ころ)の妃かも?(可能性大とか)

★No90《パカル王とみられる男性頭像》(複製)原品:マヤ文明620~683年頃

パカル王墓内で見つかる。頭頂部で髪を結わえ、前に垂らした形は、トウモロコシ神の姿をまねたと考えられる。

 

王妃の装飾品:作品NO99~109

★99《赤の女王のマスク》クジャク石、翡翠などで作られている。緑色で再生すると信じられていた。王朝美術の傑作

★100《赤の女王の頭飾り》マヤ神話の雨神・チャフクをかたどっている。ヒスイ、貝、石灰岩で。

★101《赤の女王の冠》冠と首飾りは特別な儀式で使うもの。ヒスイ輝岩石の平玉。頭蓋骨の周囲に置かれていたことから二重の髪飾りと考えられている。

★102《赤の女王の首飾り》管状、玉状のビーズ。死後に役立つようにと埋められたのかも。

★103《赤の女王の胸飾り》マヤ王族の女性が身に着けたケープ。170個以上のヒスイ輝岩石で作られている。

★104《赤の女王のベルト飾り》ヒスイ輝岩石ではなく斧形の石灰岩作り。マヤ王族の衣装の一部。

★105《赤の女王の腕飾り》小さな緑岩石のビーズ。両手首にはそれぞれ12連。

★106《赤の女王の足首飾り》辰砂の痕跡がある球状のビーズ。

★107《小マスク》緑玉髄、黒曜石片、貝片で作られた小さなマスク。104番の板状の石灰岩とともにベルトを飾っていたと考えられる。

★108《貝》貝殻は水という原初の世界を表す。

★109《小像》小さい彫刻は赤の女王の生前の姿。

 

さて、メキシコには35もの世界遺産があります。

この展覧会は紀元前15世紀から後16世紀のスペイン侵攻まで、3千年以上にわたって中米メキシコの地で栄えたテオティワカン文明、マヤ文面、アステカ文明の3つの地域の文明を紹介しています。

火山の噴火や地震、干ばつなどの厳しい自然環境の中で、普遍的な神と自然への祈り、そして多様な環境から生み出された独自の世界観と造形美を通して、その奥深い魅力を今に伝えています。(チラシより抜粋)

 

まずは古代メキシコの基礎知識を頭の片隅に~!

・紀元前1500年ころから食料はトウモロコシや野生の動植物だったが、時代が進むにつれ正確な暦による栽培、そして王権確率、儀礼、いけにえ文明にと発展しました。

・メキシコ先住民の世界観は、太陽が西に沈んだ後(死んだあと)夜明けとともに東から再生すると信じられていた。

・古代メキシコでは黄金は大変珍しい。神の排泄物と思っていた。黄金は神への捧げもの。

・人身供儀(いけにえ)の習慣は「万物は神々の犠牲により存続しているから、自らも他者のために犠牲を払うべき」と言う考え。また国家の覇権の誇示でもあった。

 

時代に沿って興味深かったものを少しご紹介したいと思います。

1:テオティワカン文明は紀元前100年から紀元後550年まで

神々の都

テオティワカンはナワトル語で「神々の座所」と言う意味

メキシコの中央高原(海抜2300m)にある都市遺跡

5世紀から9世紀に隆盛。

テオティワカンの三大ピラミッド

・太陽のピラミッドは火、戦い、天空の象徴

・月のピラミッドは水、豊穣、大地の象徴

・羽毛の蛇ピラミッドは金星の象徴。

「太陽のピラミッド」からの出土品

★NO23《死のディスク石彫》(300~550年)

メキシコ先住民の世界観では太陽は沈んだ(死んだ)のち、夜明けとともに東から再生すると信じられていました。この作品は地平線に沈んだ夜の太陽を表わすと考えられています。復元すると直径1.5mにもなる大型の石彫です。

★NO24《火の老神石彫》(450~550年)

火を焚くための石像。頭に火鉢。火や太陽に関する儀式のためのものと考えられる。

背景の写真が素敵!古代メキシコへタイムスリップしたみたい!!!

「月のピラミッド」からの出土品

★NO27《首飾り》(200~250年)

ここで37人の生贄の骨が見つかった~。豪華な副葬品を身に着けていた。

★NO28《モザイク立像》200-250年

12人の生贄の骨と一緒に発見された。

胴体はヒスイ輝岩石の小片、口と目は貝殻、黄鉄鉱。

西を向いて立った状態で発見されたそう。 胸部などのラインから、女性と考えられている。

「羽毛の蛇ピラミッド」からの出土品

巨大な石彫で飾られた羽毛の蛇ピラミッドは、全体が王の権威の象徴。

メソアメリカで最初の大モニュメント。(メソアメリカとはメキシコ中央部から中央アメリカにかけて興った古代文明の総称)

ちなみに羽毛の生えた蛇はこの世に存在しません。神話から生まれたのかも?

★NO41《羽毛の蛇神、シパクトリ神の頭飾り》(200年ー250年)は王権の象徴。

シパクトリ神は時(暦)の始まりを表すワニの姿をした神。

★NO46《嵐の神の土器》(150年-250年)テオティワカンで最も重要な神の一つ。農業に欠かせない雨をつかさどる嵐の神。

★NO44《トランペット》(150-250年)巻貝の先端を切り取って吹き口にした楽器

★NO50《香炉》(350~550年)香を焚く胴部と煙突、蓋からできている。

矢、盾などのモティーフから戦士の魂を鎮める儀式に使われたと考えられる。

お香はコーパルという木の樹脂が良く使われたらしい。

★NO54《鳥形土器》(250~550年)

まんまるお目目とたっぷりとした胴体が可愛らしい。

多くの貝が貼り付けられた土器。

メキシコ湾岸地域との交易で貝などを手に入れていた商人の墓からの出土品。

 

 

2:マヤ文明紀元前1200年頃から紀元後1697年まで

後1世紀には王朝が成立

都市間の交易、交流、戦争を通じて大きなネットワーク社会となる。

公共建築(ピラミッド)、集団祭祀、精密な暦を持つ力強い世界観

球技が儀式として行われ、他国との伝統、伝達の役割を果たした。

★NO85《猿の神とカカオの土器蓋》(600年~950年)

猿の神を表し、首には猿の好物のカカオの実の飾り。

カカオは飲料のほか通貨などに使われる重要な交易品。

★NO87球技《トニナ石彫171》(727年ころ)

球技の場面を描いた石彫。中央のゴムボールの上にマヤ文字で西暦727年に当たる年が書かれている。右がカラムルの王、左がトニナの王。両国の外交関係を象徴。

 

3:アステカ文明1325年から1521年まで

14世紀~16世紀にメキシコ中央部に築かれた文明。湖上都市

前時代の伝統を受け継ぎながら、他の地域との儀礼や交易、戦争などが行われた。

★NO123《鷲の戦士像》(1469~86年)

「鷲の家」で見つかった等身大とみられる戦士の像。

王直属の「鷲の軍団」を構成した高位の戦士、または戦場で英雄的な死を遂げ鳥に変身した戦士の魂を表している。

頭には鷲の髪飾り、羽毛や鍵爪の形の衣装を身に着けている。

★NO127《トラロク神の壺》(1440~69年)

水を貯えるツボ。

嵐の神・トラロク神の特徴は丸い目、牙。

雨の神であるトラロクと太陽神・ウィツィロポチトリは重要な神で、多くの祈りや供え物、生贄を捧げられ恵みの雨や豊穣を願った。

 

金のアクセサリー

金製品は珍しく貴重品。神への捧げものに使われた。

★NO136 豊穣を願った巻貝形のペンダント(D)

★NO139 生命力の象徴である人の心臓をかたどったペンダント(A)

 

見終わってとても感心したのは飾り方・レイアウトの素晴らしさでした。

部屋ごとに壁いっぱいの大きさのメキシコ古代遺跡の写真。

作品を眺めると同時にその景色が目に入り、まるでメキシコ古代に佇んでいるような気分になるのです。

歴史にご興味がありましたらお勧めの展覧会です~~~。

2024年2月東京国立博物館その2「本阿弥光悦の大宇宙」展 平成館1月16日~3月10日まで

スーパー文化人~~~~?

本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)(1558~1637年)は京都生まれ。

レオナルド・ダ・ヴィンチの生まれ変わり?と言われている芸術家です。

その凄さをこの展覧会でたっぷりと見て来ました。

 

本阿弥光悦坐像 伝本阿弥光甫作 江戸時代・17世紀

本阿弥家は刀剣の研ぎ、鑑定を行う一族。豊臣秀吉が設置した刀剣の鑑定をする部署で活躍しました。

光悦は幼いころから刀剣の価値を見定める審美眼を磨き、のちに徳川将軍家や大名たちにも一目置かれる存在でした。

ここで磨かれた審美眼は「書の達人」として、あるいは「国宝の光悦蒔絵(漆工芸)」や「国宝の陶芸」などなどに発揮されています。

その業績はまさにスーパー文化人~~~!

どの作品もアッと驚く着眼点!革新的ともいえる造形美!

ほんの一部ですがご紹介します。

光悦と言う名前に憶えがなくても、学校の教科書に掲載されている国宝の硯箱を覚えていらっしゃいますか~~~?

展覧会会場の一番初めに燦然と輝いて展示されていたのは~

★国宝《舟橋蒔絵硯箱》本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館

文房具なのにこの奇妙な形!なにゆえに膨らんでいるのでしょう~?

実はこれが光悦の「仕掛け」、深い意味が潜んでいます。

上蓋の黒い大きな鉛板は橋(太鼓橋?)を表しています。ふくらみはこの橋がアーチ型をイメージしていたからでしょう。

 

その橋の下の金地に船が3艘描かれています。

ふた全体には光悦流の銀色の文字が躍るように散らされています。これは光悦が親しんだ『後撰和歌集』の中の和歌

「東路の さのの舟橋 かけてのみ 思ひわたるを 知る人ぞなき」

(東国の佐野の舟橋を架け渡す――その「かけ」ではないが、思いをかけてずっと恋し続けていることを知ってくれる人がいないことよ)を題材にしたもの。

独特の表現やモチーフの背後には、とくに光悦が深くたしなんだ謡曲の文化があったことがうかがえます。(キャプションより)

★重文 花唐草文螺鈿経箱(はなからくさもん らでん きょうばこ)

本阿弥一門の菩提寺である京都・本法寺に、光悦は『法華経 幷 開結』(ほっけきょう ならびに かいけち)10巻1具とこの青貝の箱を寄進しています。漆工品では工房作ではなく、光悦自身の作と思われるのはこれただ一つの作例とのこと。

光悦が一門の菩提寺本法寺法華経と経箱をともに寄進したことから極めて篤い信仰心がうかがえます。

 

光悦の書の名品

重要文化財《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》本阿弥光悦筆/俵屋宗達下絵(部分)17世紀江戸時代(京都国立博物館蔵)

飛び渡る鶴の群れを金泥、銀泥で描いた料紙に、平安時代までの三十六歌仙の和歌を散らし書きした一巻

なんと~全巻一挙公開。全長は13メートル超!展示会場の天井にはこの作品の大判がひらひらと張られています。

重要文化財《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》 本阿弥光悦筆・俵屋宗達画 京都国立博物館 琳派 京(みやこ)を彩る (youtube.com)

復元した作品を見たことがあります。銀色と金色の輝きが巻き進むたびに輝いてそれはそれは美しかったです。

光悦は、書の世界では近衛信尹松花堂昭乗とともに寛永の三筆のひとりで「光悦流」の祖。

光悦の書は斬新な図案料紙を用いた和歌巻に代表される墨の濃淡、肥痩(ひそう)をきかせた筆線の抑揚と、下絵に呼応した巧みな散らし書きで知られます。

★《蓮下絵百人一首和歌巻断簡》本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 東京国立博物館

法華信徒にとって特別な意味を持つ蓮を描いた料紙に、光悦が小倉百人一首を書いた和歌巻の断簡。

深く透明感のある文字の墨色、鉛色の蓮華はとてもうまく調和していると思います。

下絵に呼応する巧みな散らし書きは光悦の深い信仰心の現れではないでしょうか?何故ならば蓮華は法華経のシンボルの花。それを題材にしているからです。

100首の和歌のうち60首分が関東大震災で焼失し、残る断簡(切断された一部)が各所に分蔵されています。

本阿弥光悦筆《松山花卉摺下絵新古今集和歌巻》江戸時代・17世紀

線の太細の抑揚が強いのが本阿弥光悦の書の特徴。紙全体に対するレイアウトの感覚も絶妙。

光悦茶碗

光悦は50代後半頃卒中に罹り手の震えに悩まされました。

震えが気にならない作陶を1615年(58歳)以降に本格化させ、茶碗制作を行いました。

★国宝《白楽茶碗 銘 不二山》(これは出展されていません。参考まで)

窯の中で偶然にも下半分が黒く焼け生まれた白と黒の色彩。この偶然の産物に光悦は雪を頂く富士山を見出した。

娘が嫁ぐとき、嫁ぎ先に渡しました。富士山は一つしかない、二つとない自分の娘と言う親心が込められているそうです。

 

重要文化財 《黒楽茶碗 銘 時雨) 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 愛知・名古屋市博物館蔵

今回展示の「村雲」「時雨」「雨雲」の3つは、どれも表面のもわもわした釉薬のようすを雨模様に見立てて名づけられたものです。

重要文化財《赤楽兎文香合》

蓋表に白土と黒の上絵具で草むらを駆ける兎の姿を表しています。箆(へら)でざくざくと大胆に削り、スピードをもって筆を走らせる様子が目に浮かぶようです。 江戸時代から近代にいたるまで、名だたる茶人・数寄者が愛蔵してきた「出色の出来」と評される香合です。(キャプションより) 

 

「光悦村」

1615年大阪夏の陣の後、徳川家康から京都北部の鷹峯の地を拝領し、本阿弥一族や町衆(豪商)、職人(唐織屋、筆師、紙師、塗物師、金工、蒔絵師、金箔屋など)を率いて移住、芸術村(光悦村)を築きました。

共に暮らす職人たちに指示を与えながら多彩な作品を作ったと考えられています。

刀剣で培われた人脈は光悦の後半生の芸術活動に影響を与えています。

★志津兼氏作の重要美術品《短刀 銘 兼氏 金象嵌 花見形》鎌倉〜南北朝時代、14世紀 

光悦の唯一の指料(さしりょう、自分が腰に差す刀)とされる短刀。

茎には本阿弥光徳の金象嵌銘があり、その銘字は光悦の筆になると伝わります。数少ない江(ごう)の作刀に、さらに光悦の書という希少価値が加えられた、唯一無二の存在です。(資料より)

★《刻鞘変り塗忍ぶ草蒔絵合口腰刀》(江戸時代、17世紀

鞘全体に忍ぶ草(写真添付)をあしらった拵(こしらえ、日本刀の外装)

拵(こしらえ:刀身をおさめる刀装)は鮮やかな朱漆塗りの鞘(さや)に金蒔絵で忍ぶ草を全体に表わした華麗なものです。花形見の金象嵌と忍ぶ草の金蒔絵、その言葉や意匠の意味を読み解くと、光悦の秘めた想いがみえてきます。

忍ぶ草はこんな植物です。

 

 

展覧会を見終わって~

ホントに天才芸術家!

書、陶芸、漆工芸、謡曲の本の出版、茶道、篤い信仰心などジャンルを超えたマルチアーティスト。

本阿弥光悦は残された資料が少なく謎に包まれたまま。

私にはまだまだ謎の芸術家でした。

2024年2月東京国立博物館その1 国宝・中尊寺金色堂建立900年記念 特別展「中尊寺金色堂」1月23日〜4月14日迄

2024年は、藤原清衡(きよひら)(1056〜1128)が天治元年(1124年・平安時代)に中尊寺金色堂を建立してから900年の節目の年に当たります。

 

金色堂には3つの須弥壇があり、そのうち初代・清衡が眠ると考えられている中央壇とその壇上に安置されている国宝の仏像11体が寺外で初公開されました。

 

清衡の『中尊寺建立供養願文』には

「長い年月の合戦で命を落とした人々の霊を敵、味方の区別なく弔う「怨親(おんしん)平等」という思想と、戦争を認めない非戦の願い」が書かれています。(作品NO1)これを真っ先に読んだとき900年前と同じ、戦争が多い今の世を思い、胸が苦しくなりました。

 

世界遺産「平泉の文化遺産」のシンボルである中尊寺金色堂は東北地方現存最古の建物です。建物全体が金色で、螺鈿蒔絵の装飾が施され、とても絢爛豪華です。

 

それではいつものように心に響いた作品をご紹介したいと思います。

金色堂

8Kならではの映像で金色堂へ”没入” 8KCG : ⒸNHK/東京国立博物館/文化財活用センター/中尊寺 

中尊寺の覆堂(金色堂または阿弥陀堂)と呼ばれるコンクリートの建物の中には、初代の藤原清衡から、基衡(2代)、秀衡(3代)、泰衡(4代)まで奥州藤原氏4代の遺体が安置されています。

写真の通り、螺鈿紫檀、貴石などで装飾された堂内は豪華絢爛そのもの。

金色堂 内部

 

金色堂の特筆すべきところは、須弥壇内部の下方に奥州藤原氏4代の遺体を安置したということ!まさにここは墓所でもあるのです。

会場には初代清衡が安置されていた金箔押の木棺や、遺体がつけていた装飾具なども展示されていました。

重要文化財《金箔押木棺》(12世紀)中尊寺金色院蔵

遺体が収められた金箔が貼られた木の棺。

重要文化財「金塊」重要文化財「金塊」平安時代中尊寺金色院蔵)

棺の副葬品の中には金塊もあり、その重さは32グラム。

 

今回、中央壇の壇上に安置されている阿弥陀三尊像(阿弥陀如来坐像、勢至菩薩立像、観音菩薩立像)(3体)と地蔵菩薩像(6体)、二天像(増長天立像、持国天立像)合わせて国宝仏像11体が展示されました。寺外で中央壇上のすべての仏像がそろって展示されるのは初めてのことです。

展示されている仏像はすべて国宝、12世紀、岩手・中尊寺金色院蔵です。

阿弥陀三尊像

阿弥陀如来坐像を中心に、前方左右に勢至菩薩立像と観音菩薩立像が並ぶ全身金色の三尊像です。

ふっくらとした頬、穏やかな丸顔は平安時代に一世を風靡した「仏師・定朝の様式」にそっくりです。造像には都の仏師が関与したのではないでしょうか?

 

★中尊 阿弥陀如来座像 像高62cm

後頭部の螺髪の刻み方や右肩にかかる衣が別材なのは当時としては新たな造形と技法だそうです。

 

★向かって左 勢至菩薩立像(部分)

★向かって右 観音菩薩立像(部分)

金色堂の創建時(1124年)に造られたと考えられることから当時の平泉の文化水準の高さがうかがえるとのこと。

★《地蔵菩薩立像》

向かって右側

く向かって左側

阿弥陀三尊の両脇に3体ずつ安置されている6体の地蔵菩薩立像です。 頬がやや引き締まっていることや腹帯を見せるなどから、阿弥陀三尊像よりもあとの時代(藤原2代・基衡)に造られたのでは?と考えられています。

 

二天像

★《持国天立像》

★《増長天立像》

大きく腰をひねって手を振り上げる躍動感にあふれた持国天増長天。 引きしまった締った顔と大きくひるがえる袖の表現が特徴。  

こうした激しい動きの表現は、もう少しあとの時代(運慶の頃)の様式に見られるもので、時代を先取りしたような感覚が奥州の仏像にみられるそうです。

 

かつて金色堂を荘厳していたまばゆいばかりの名品50点、そのうち国宝が41点です。

★国宝・金銅迦陵頻伽文華鬘華鬘(こんどう かりょうびんがもん けまん)

華鬘(けまん)は、堂内を飾るための用具で、花輪をかたどるきらびやかな工芸品のこと。

この華鬘(けまん)は極楽浄土に住むという、上半身が人間で下半身が鳥の空想上のいきもの・迦陵頻伽(かりょうびんが)と、極楽浄土に咲くという宝相華唐草を透かし彫りにした華麗な作りになっています。

 

★国宝・紺紙金銀字一切経中尊寺経)

紺紙に金字と銀字で一行ごとに交互に書写した一切経(様々な仏教典籍を集成したもの)で、初代清衡が発願したもの。「中尊寺経」とも呼ばれています。

料紙は京で調達したことが確実視され、見返し絵も当時の一流の絵師が担当したと考えられています。


★国宝・金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅 第七塔

 護国の経典を紺紙の染紙に書写した作品です。

 中央にそびえる金色に輝く九重の宝塔は近づいて見ると全部文字です!

 金泥で書いた『金光明最勝王経』の経文なのです。こうした経文の文字を使って宝塔を描き、『金光明最勝王経』をよりどころとするのはこの作品が唯一です。また日本で作られた宝塔曼荼羅としては現存最古のものです。

宝塔のまわりには金銀泥と顔料を使って釈迦説法図、釈迦説相図が描かれています。

 

★会場入口のスクリーンでは、原寸大(幅約7m×高さ約4m)の金色堂を超高精細の8KCGで再現した映像を上映、すべて接近し、拡大してくれます。

15年ほど前に拝観した時には、現地ではガラス越しにしか見られない金色堂の内部を見ることができました。

 

平泉の世界遺産金色堂をはじめ建築、絵画、書跡、工芸、仏像彫刻、考古、民族などの文化遺産が現在まで伝えられ、東日本の平安仏教美術の素晴らしさを垣間見ることが出来た展覧会でした。

平泉はまさにこの世の「極楽浄土」とも言える祈りの空間です。

都から遠く離れたこの地で栄華を極めた奥州藤原氏一族が眠る聖地なんですね。

2024年1月名古屋城「家康の謎 名古屋城本丸御殿の黒木書院の襖絵」公開(2月25日まで)~とお正月イベント

名古屋城本丸御殿・黒木書院は清州城の家康の宿所を移築したものだそうです。

黒木書院は2部屋しかありませんが、格式のある建物の一部と考えられるとのこと。

黒木書院の建物は1945年5月14日(昭和20年)の名古屋空襲で焼失しましたが、襖絵はその直前の3月に城内御深井丸(おふけまる)の乃木倉庫に保管され、難を逃れました。現在すべて重要文化財に指定されています。

絵は狩野派の絵師が描いたと考えられるそうです。

今回の展覧会では江戸時代前期の襖絵(一之間、二之間のすべて)33面が公開されました。

画題は一之間「瀟湘八景」、二之間「四季耕作」です。

前期 1月22日まで

後期 1月23日~2月25日まで

 

一之間東側襖絵

★山水図

 

二之間南側襖絵

★四季耕作図 田植え

稲作を描く絵画は「耕作図」と呼ばれ、為政者にとって安定した米作りは最重要事項であった。

 

二之間北側戸襖絵

★四季耕作図 山水

米を水に浸す「浸種」は春の作業。ただしこの絵は雪の季節を描いている。

 

二之間南入側北側戸襖絵

★花鳥図 雪中芦鷺図(ろろず)

 

黒木書院東入側西側襖絵

★梅花雉小禽図

 

お正月にはたくさんの催し物がありとてもにぎわっていました。

名古屋おもてなし武将隊ショウと徳川家康服部半蔵忍者隊ショウ

向かって左おもてなし武将隊  右家康と服部半蔵忍者隊

真中 織田信長、左 豊臣秀吉、右 徳川家康

 

尾張万歳今枝社中

 

正月グルメ 味噌おでん、手羽先、焼きういろう、手握り棒天、肉巻きおにぎり串などなど

食べたことがないものがたくさんありましたが、長蛇の列で諦めました。

 

お正月遊び 達磨落とし、福笑い、お手玉、羽根つき、竹馬、コマ回しなど

 

朝9時からは焼き菓子、干支の置物プレゼントがあったそうです。

夜更し、朝寝坊の私は参加できず・・・

来年こそは早起きして1000人もらえるという干支の置物をゲット~~~?!

特別展 生誕270年「長沢芦雪―奇想の旅、天才絵師の全貌―」展 大阪中之島美術館 2023年12月3日まで

今年(2024)は辰(龍)年

まずは龍図をご覧下さい。

長沢芦雪筆《龍・虎図襖》重要文化財 和歌山 無量寺蔵 江戸時代 天明6年(1786

大胆の中にもふわふわの毛並みをご覧あれ~!
令和6年(2024)の干支、辰(龍)は、十二支獣の中で唯一想像上の動物です。

もともとは古代中国の豊かな想像力の産物ですが、その姿は東アジア全域に受け入れられました。

 

 

長沢芦雪(1754 – 1799)をご存じでしょうか?

江戸時代に活躍し、奇想の絵師として知られています。

もしご存じでしたら美術史にとても詳しい方ですよ~。

芦雪生誕270年を記念して、今回新たに見つかった作品《蕗図》や重要文化財4件を含む約100件が展示されました。

 

芦雪と同時代に活躍した、奇想の画家と言われている絵師とは、奇抜な発想の曽我蕭白(そがしょうはく)(1730 – 81)、卓越した画力の伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)(1716 – 1800、そして長沢芦雪です。

 

芦雪が活躍したのは、江戸時代中・後期頃。

その頃京都で大活躍の画家は目白押しでした。

例えば圧倒的に大人気の写生の円山応挙です。

円山応挙 国宝《雪松図屏風》私一押しの応挙の最高傑作(展示なし)

★曽我蕭白 重文《群仙図屏風》(部分)(展示なし)

蕭白(しょうはく)の代表作のひとつ。仙人たちの顔の表情はなんとも奇妙、奇怪。

この絵、結婚のお祝いだそうですよ。

伊藤若冲《象と鯨図屏風》(展示あり)

勢いよく潮を吹く鯨と鼻を高々とあげた象が 呼応しているかのよう。 白象の三日月型の目と 卵のような形の耳、不思議な組み合わせでしょ?!

 

芦雪はどんな人~?

芦雪はこの時代に最も有名な円山応挙の高弟の一人です。

師の円山応挙長沢芦雪の作品が並んで展示されていました。

初期の芦雪は師匠そっくり!

★芦雪《牡丹孔雀図》江戸時代 18世紀

★応挙《牡丹孔雀図》江戸時代 18世紀

 

 

32歳の時、忙しい師の名代として南紀へ出掛け、半年ほどのびのびと描くことで自分の画風を確立しました。

写実的な応挙の絵とは違い自由奔放で大胆な絵になりました。

 

奇想の天才絵師・芦雪が得意とした作品

①障壁画(襖絵)

無量寺(和歌山)、 高山寺(和歌山)、西光寺(島根)、薬師寺(奈良)、大乗寺(兵庫)の襖絵8作品が揃って出品されるのは23年ぶりだそうです。

★《龍図襖》(昇龍図)松江市指定文化財 天明6年(1786)以前 島根 西光寺

★《寒山拾徳図》和歌山 高山寺 県指定文化財 江戸時代 天明7年(1787 

幅160センチの大画面に 豪快に描かれた作品です。

 髪や衣の力強い筆さばき、そしてこの笑顔。

 

愛らしい動物たちがいっぱい。

生き生きとした動物たちの会話が聞こえてきそうな芦雪ならではの動物の描写

誰もが胸キュンするような可愛らしい子犬たちなど

通路の壁には~



★《梅花双狗図》江戸時代 18世紀 個人蔵

★《降雪狗児図》江戸時代 18世紀 公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館

★《群猿図》重要文化財 江戸時代 寛政7年(1795)兵庫 大乗寺

 

③奇抜な発想と構図

★《蹲る虎図》
巨体を丸めて蹲る(うずくまる)虎を描いた作品。 代表作の《虎図襖》とは異なり、尻尾は力なく垂れています。

「うずくまる虎」がクッションになりました。

★《方寸五百羅漢図》2010年発見の3センチ四方に500人の羅漢が描かれています。

★《蕗図》蟻の行列がフキの茎を登っていきます。

今回の新発見作品は、驚くほどミクロの細密画。そのため、展示では拡大画面で技法や繊細な筆遣いを観る工夫がしてありました。

 

  • ユーモアのある大胆な作風

★《牛図》江戸時代 18世紀 鐵齋堂

目の色がブルー!

★《群猿図》(部分)重要文化財 江戸時代 寛政7年(1795)兵庫 大乗寺

★《富士越鶴図》江戸時代 寛政6年(1794)個人蔵

 

芦雪に関する新しい説が~発表されました。

芦雪の生涯は応挙に破門されたとか、大阪で毒殺されたといううわさが付きまとっていました。

今回の展覧会で福田美術館の岡田さんから新説が発表されました。

「芦雪は、独自の展開を遂げ、他の応挙の弟子と画風が大きく異なることから、従来は、師・応挙と対立していたとも考えられてきましたが、芦雪の「魚印」六角形のような縁取りは「氷」で、氷は応挙を意味し、その後、応挙との決別の証に「魚印」の右端を割ったと言われています。

しかし、応挙への反発と捉えられていますが、応挙様式(応挙の型)を破る、応挙からの独立を宣言する意味ではないかと考えています」

ミッドランドシネマ2 ディズニー100周年記念映画「ウイッシュ」を見て来ました~(^^♪

映画が始まる前にいやが上にも盛り上がってしまう仕掛け!!!

100周年を記念して美しい映像が並ぶ入り口

撮影フリー!

映画館で撮影?!普通禁止でしょ。「映画泥棒」とか毎回見せられていますもの。

このイベント、思いもやらなかった~~~(爆)

映画館スクリーン通路入り口

通路の壁の映像 主人公アーシャ

羊のバレンティノ

マグニフィコ王

座席は「願い星 スター」で埋め尽くされて~

ストーリーはディズニーらしくいたって健康的。

どんな“願いも叶うと云う「ロサス王国」。

邪悪な国王の陰謀を知ったアーシャ

みんなの願いを取り戻したい!

決して諦めず立ち上がるアーシャ

 

最後に願いを取り戻し~~!

花火、美しい音楽、ダンスなどなど・・・盛り上がって

ハッピーエンド。

 

やっぱりディズニーは夢があって楽しいですね。

私の想い出の一押しは「ファンタジア」
あなたの想い出は如何ですか~~~?