ボストン美術館の至宝展より 英一蝶筆「涅槃図」を見て来ました~♪

この展覧会では、約50万点を所蔵するアメリカ・ボストン美術館のコレクションから「古代エジプト」「中国美術」「日本美術」「フランス絵画」「アメリカ絵画」「版画・写真」「現代美術」の7分野にわたる珠玉の80点が展示されていました。

 またコレクション形成に貢献した収集家の物語を知ることができました。

 この中から最も心惹かれた日本にあれば国宝と思われる幻の作品《涅槃図》のお話をしたいと思います。

 ★英 一蝶(はなぶさ いっちょう)筆《涅槃図》江戸時代(1713年)

高さ約2.9m、幅1.7m

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約170年ぶりに本格的な解体修理を経て初めてお里帰りしました。

 涅槃図とはお釈迦様の入滅をあらゆるものが嘆き悲しむ姿を描いたものです。

 ★涅槃図には二つの世界が描かれています。

上半分は菩薩や神などが属する「聖の世界」。

天界からお迎えに来る場面が描かれています。右上中央で天女達に励まされているのはお釈迦様の母親・摩耶(まや)夫人(ぶにん)、息子の死を悲しみ着物で涙を押さえています。

 

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下半分は釈迦の弟子たちや俗世の人々の属する「俗界」です。

 ★横たわっているお釈迦様を中心に時計回りに絵解きをしたいと思います。

向かって左側、釈迦の枕元には菩薩たち。

 

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花をささげているのは文殊菩薩

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釈迦の背後に並ぶのは四天王や八部衆たち、釈迦の眷属です。

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戦の神である阿修羅は赤いお顔(三面)で悲嘆にくれています。

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釈迦の足元には医者が足を触って臨終を確かめています。

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そのすぐ傍、足元に集まって悲しんでいるのは俗世の人々。

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横たわった釈迦の前には弟子たち。最も教えを聞いたと言われる阿南(あなん)(シャカ族王家の出身でブッダの従兄)はあまりの悲しみで気を失ってしまいました。

阿那律(あなりつ)(シャカ族出身でブッダの従兄という説あり)が介抱しています。

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画面の下の方には様々な種類の動物や昆虫。白い象さんがひっくり返って嘆き悲しんでいます。また打ちひしがれている動物の親子が見えますが、親子が涅槃図に描かれるのはとても珍しいそうです。ジャコウ猫(目にすると金運をもたらすという)もいます。猫は釈迦の使いのねずみを食べてしまうためあまり描かれないのですが、英一蝶はジャコウ猫から少し離れたところにネズミも描いています。

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セミ、カニ、カメ、カタツムリも嘆き悲しんでいます。

アゲハチョウ、トンボも悲しんでいます。

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犬の親子、おさるの親子も嘆いています。

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ジャコウネコ、雀も悲しんで呆然としています。

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英一蝶(はなぶさいっちょう)は風俗画の人気絵師らしく、生真面目な涅槃図とは違って嘆き悲しむ人々や動物たちを大きな身振りや表情で、情感豊かに描いていますね。

 

異端の絵師 英 一蝶(1652~1724)略歴

10代の頃、幕府御用絵師の狩野派で絵を学ぶ。しかし6年余りで破門。

お手本通り描かなくてはならない狩野派に我慢できなかったとか。

 その後浮世絵の自由な描き方を追求。

 連日連夜の吉原通い。太鼓持ちをしていた。

 1698年、大名に莫大なお金を使わせた?または禁止されていた釣りをして生類憐みの令に反し(諸説あり)、なんと三宅島に島流しの刑11年。

三宅島で絵師として活躍。江戸から画材を送ってもらうし、江戸からも注文あり。

 1709年、徳川綱吉(1746-1709)が亡くなった大赦で江戸にもどる。

 波乱万丈の人生を送った。

そんな人生を送ったからこそ、時を超えて称賛される唯一無二の仏の世界を生み出すこ都が出来たと言われています。