2018年は明治維新からちょうど150年。長く続いた江戸幕府が崩壊、新たに明治政府が樹立。そういう時代の大きなうねりの中で、浮世絵師たちは西洋文明の影響を受け入れながら、新たな表現に挑み続けました。
うれしいことに今回の展覧会では、すべての作品撮影OK。もちろん人に迷惑が掛からないように三脚、フラッシュはだめですよ。
それにも増して、150年前後も前の浮世絵なのに刷りたてのような色合いの美しさ。
さらに幕末に流行した「血みどろ絵」では、気分が悪くならないように、スルー出来る横道が用意され、見たい人にだけ用意されたのぞき穴。
というわけでほんとに楽しく、愉快な展覧会となりました。(嬉嬉)
幕末から明治にかけ、その旺盛な好奇心と柔軟な発想、豊かな表現力を武器に活躍した歌川国芳(1798―1861)とその弟子・月岡芳年(1839-1892)等の新しい画題と表現に挑み続けた「芳ファミリー」の作品を
「第1章ヒーローに挑む」
「第2章 怪奇に挑む」
「第3章 人物に挑む」
「第4章 話題に挑む」
「終章 芳ファミリー」
の5つのテーマに分けた構成でした。
その中でも私が一番面白がったのは、
★厳しい幕府の禁止令をかいくぐり、政治批判を擬人化した皮肉たっぷりの作品
《里すゞめねぐらの仮宿》弘化3年(1846)。
吉原遊郭が仮店舗で営業を開始したことを知らせるもの。遊女の絵を描くことが禁止されていた当時、吉原のひやかし客の俗称「吉原すずめ」にちなんで、花魁も冷やかし客も擬人化した雀で描いています。人間が描かれるよりも表情が豊かに見える~~~!(笑)どんなおしゃべりかしら?想像してみました。(笑)
ねぇ、ねぇ、今日も吉原は混んでいるわねえ。
あら~着物を引っ張らないでよ~~~。
あのお客、どう思う~?
えっ、どの男よ~?
あらあら~たくさんの男が見ているわ~!花魁の私と遊ぶお金、持っているかしら~?
★国芳らしいユーモアのある「寄せ絵」《としよりのよふな若い人だ》
お猪口を持っている手は何人の人がいるか数えてみてください。
こちらは何人~?
★師匠である国芳の躍動感を受け継ぎ、最後の浮世絵師といわれた月岡芳年の「血みどろ絵」
《英名二十八衆句 福岡貢》
今回の展覧会では28人すべてが展示されていました。ご興味のある方はお見逃しなく~!
伊勢の遊郭で逆上し十人切りをした福岡貢。着物や足に残る血まみれの手形のリアルさ。血みどろ絵では血糊を描くのに赤絵の具に膠を混ぜ、ねっとり感を出したんですって。
「血まみれ芳年」と異名を付けられ、本人も精神を病んだそうですよ。
全部で150点の展示。まだまだご紹介したい浮世絵があります。
(1)30代で「武者絵の国芳」として名を挙げました。
血沸き肉躍る《弁慶が勇力戯に三井寺の梵鐘を叡山へ引揚る図》(1845年ごろ)
弁慶が三井寺の釣り鐘を比叡山に引き上げたという伝説を描く。細長い紙の上部に弁慶、下部に釣り鐘、それらをつなぐ太い綱。上に引き上げる動きを強調することで弁慶の力強さを表しています。男っぷりが良い!美男ですねぇ。ほれぼれしません~?(笑)
(2)国芳の代表作《相馬の古内裏》
山東京伝作『善知安方角忠義伝』より。平将門の娘・滝夜刃姫(たきやしゃひめ)が妖術で骸骨の妖怪を呼び出す場面。大判3枚続き。国芳の絵は3枚続きでないと楽しめない。版元は一度に3枚の絵が売れると喜んだそうな。
(3)晩年の芳年は、かつて残虐シーンを描いた「血みどろ絵」から大きく変化し、静かで、趣のある女性を描きました。
芳年の女性表現は後の美人画家、鏑木清方、伊東深水等へと引き継がれていきました。
静かな女性像の揃い物「月百姿」のうち
《孤家月》明治23年
京都の鴨川、四条河原で夕涼みする女性の姿。