「グランマ・モーゼス」展―素敵な100年人生 名古屋市美術館7月10日~9月5日まで

19世紀にまさに「人生100年時代!」を生きたアメリカの農婦・モーゼスおばあちゃんの展覧会です。生誕160年を記念して開かれました。

 

愛称モーゼスおばあちゃんの正式名はアンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス(1860-1961)という立派なお名前です。

101歳で亡くなった正真正銘の100年間を生き抜きました。

27歳の時結婚し、5人の子供に恵まれました。

本格的に絵を描き始めたのは75歳の時。それまでは農家で家庭を切り盛りしていました。描いたテーマは自らが体験した農村の暮らしなど。

第二次世界大戦で疲弊したアメリカ人の心をとらえ国民的画家になりました。

 

それでは説明などいらない、自然や素朴な暮らしを愛し、素敵な100年を生きたグランマ・モーゼスの世界をほんの少しご紹介します。

 

《窓越しに見たフージック谷》1946年86歳の時の作品

穏やかな空の下、牧草地でのんびりと草を食む牛たち。蛇行した道は丘の間を抜け、かすむ山々へ続きます。この景色はモーゼスの寝室の窓から見たもの。「絵を描く際は窓を想像して風景を切り取る」と言ったモーゼスの心の中には、いつもこうした窓があったのかもしれません。

「わたしはピンクが大好きです。ピンク色の空はほんとうに美しいです。」

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《家のクリスマス》1946年

グランマ・モーゼスの農村でのクリスマスは、家族や親せき、村の人たちが集まり、お手製のお料理をふるまいにぎやか。彼女はお料理が得意でした。

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《アップル・バター作り》1947年87歳の時の作品

砂糖もバターも加えずシンプルにリンゴを煮詰める伝統のアップル・バター作りは、地域の皆で行う夏の終わりの恒例行事でした。収穫したリンゴの皮をむいて刻み、大鍋で煮込む。それぞれの作業にいそしむ人々の姿が楽しげに描かれています。

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《美しき世界》 1948年 88歳の時の作品

モーゼスおばあちゃんは、ほんとうにきれいなものとは何かを考えぬいて描くのだと言いました。自然と人間、それらの間の調和と、「失われていく古いもの」。モーゼスが想う美しい世界は、幸せの原風景として、特に第二次世界大戦後のアメリカで広く親しまれるようになりました。「わたしはピンクが大好きです。ピンク色の空はほんとうに美しいです。」

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キルティング・ビー》1950年90歳の時の作品

村人たちが集まって、キルティング制作などを楽しんでいる様子が描かれています。目の前のテーブルにはごちそうが並んでいます。

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《村の結婚式》1951年91歳の時の作品
画面の右下で腕を組む新郎新婦。描かれた人々の身振りや表情は皆晴れやかで、牧歌的な幸福感が漂います。

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《シュガリング・オフ》1955年95歳の時の作品

アメリカ原産のメープル(サトウカエデ)の木から採れる樹液は、メープルシロップやメープルシュガーなどの貴重な甘味料として利用されてきました。 モーゼスの子供時代、樹液を採取したり煮詰めたりする作業を手伝うのはとても楽しいことでした。

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《虹》1961年(昭和36年)100歳の時の最後の作品

「思えば、わたしの人生は、よく働き、満ち足りた一日のようなものでした。」

1961年12月13日にグランマ・モーゼスは101歳で亡くなりました。100歳で描いた絶筆となるこの《虹》が特別に出品されています。 最後の最後まで自然を愛し、描き続けたモーゼスおばあちゃん。

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グランマ・モーゼス語録

★今でも年を取ったとは感じていないし、実際、年のことなど考えたことはありません。

★人生は自分で作り上げるもの これまでも これからも

 

巡回展

あべのハルカス美術館 '21/4/17~'21/6/27

名古屋市美術館 '21/7/10~'21/9/5

静岡市美術館 '21/9/14~'21/11/7

世田谷美術館 '21/11/20~'22/2/27

東広島市立美術館 '22/4/1~'22/5/22