「最澄と天台宗のすべて」京都国立博物館に行ってきました~♪(5月22日まで)

この展覧会は、天台宗のはじめから江戸時代までの天台宗の歴史を学ぶことが出来るものでした。

 

平安時代初期、天台宗の礎を築いたのは伝教大師最澄(767-822)。

そのことは歴史教科書で習っています。でもその宗派の歴史はよく知らなかったのでとても勉強になりました。

 

比叡山は京都の人々にとって鬼門を守る霊峰として、東側の近江の人々にとっては琵琶湖に豊かな水をもたらしてくれる神宿る山でした。

また比叡山延暦寺は、最澄が人材の育成に励んだ結果、数多くの高僧、例えば法然親鸞栄西日蓮らを輩出しました。天台宗最澄だけでなく、最澄の心を継いだお弟子さん達の歴史そのものなのですね。

さて今回の展示では、日本各地で守り伝えられた天台宗の宝物や、根本経典『法華経』の説く万民救済の精神、「この世界のすべての存在が仏になる素質を備えている。仏の慈悲は差別なく、すべての人々に及ぶ」を表わす文化財が沢山出陳されています。

その上、各寺院で「秘仏」とされる仏像や数十年に一度しか公開されない仏像、これまで決して寺外には出なかった仏像を拝観出来る嬉しい展覧会でした。

心に響いた数々の至宝のうちほんの一部ですがアップしたいと思います。

国宝 聖徳太子及び天台高僧像 十幅 平安時代(11世紀)兵庫・一乗寺蔵のうち

1、中国天台宗の開祖・智顗(ちぎ)(538-597)

最澄の時代から、さかのぼることおよそ200年、古代中国・隋の時代に天台宗を開いた人。(残念!東京会場、九州会場のみ展示)(重要人物なのでチラシから)

2、伝教大師最澄(767-822)の現存最古の肖像画(5月1日まで展示)

本物を是非見たかったので4月中に行ってきました。

最澄は現在の大津市坂本に生まれ、奈良や比叡山で修行。

804年、中国・唐に留学する。智顗(ちぎ)(538~597天台宗を開いた地・天台山へ向かう。

805年、智顗(ちぎ)の仏教理念を持ち帰り日本天台宗を広め確立していった。

法華経を基軸としつつ、念仏や密教も取り込んだ点が、日本天台宗の特徴。(資料より)

 

3、慈覚大師・円仁(794-864)(5月1日まで展示) 

最澄の弟子。第3代延暦寺座主

最澄と円仁

中国に留学し密教を学び、天台密教を確立した人。

最澄密教を1か月しか学んでいなかったので、密教をもっと深く学ぶのは悲願だった。その遺志を受け継ぎ、弟子の円仁が成し遂げた。

★国宝 七條刺納袈裟 中国・唐時代8世紀 延暦寺蔵(5月1日まで展示)

中国天台山で修業時の師・行満からもらった袈裟。

袈裟は捨てられてしまうようなぼろ布で作るのが最も良いとされている。この袈裟も小さな布を寄せ集め縫って補強して作られている。

行満が大切にしていたものをくれたことから、最澄は中国で大切にされていたことがわかる。

★国宝 伝教大師入唐牒 中国・唐時代804・805年延暦寺

中国で発行された最澄の通行許可証

国宝 伝教大師入唐牒

展示期間は5月3日から22日迄です。私は見られなかったのですが、中国での足跡がわかる文書の一つです。最澄がはるばる遣唐使船に乗って、日本人として初めての天台宗の留学生でしたので大歓迎されたようです。

 

滅多に見られない仏像とは・・・

★寺外初公開の秘仏 

重文 薬師如来立像 平安時代11世紀 京都法界寺蔵 

法界寺 薬師如来

後ろ姿と截金模様

この仏像は、延暦寺の根本中堂に安置されている最澄作の秘仏・本尊・薬師如来像に近い姿と考えられている。

胎内仏が3Dプリンターで立体化され、薬師如来立像と並んで展示されています。

細く切った金箔を貼る截金が施されている。

気品のあるたたずまい。美しいお姿。 

像高88・5センチ。

宇治に近い日野の法界寺で、厨子の奥深くに守られてきた平安の秘仏

 

★60年に一度ご開帳の秘仏

菩薩遊戯坐像(ぼさつゆげざぞう)伝如意輪観音 鎌倉時代13世紀 愛媛県鬼北町・等妙寺蔵 (九州会場と京都会場のみの展示)

九州国立博物館でのX線CTスキャン調査の結果、胎内に木製の五輪塔が納められていることが分かりました。その情報を基に、3Dプリンターで立体化したこの五輪塔とその中に入っている舎利も京都会場で展示されている。

南北朝時代以降、延暦寺とは別に特殊な受戒儀式をはじめ、黒谷流という一派を形成し、受戒を法勝寺と遠国四戒壇に限定した。この地方の戒壇の一つが等妙寺で、本像も都ぶりの優作で、今回の目玉と思う。

 

秘仏 重文 空也上人立像 鎌倉時代13世紀 愛媛・浄土寺

空也の足跡が愛媛にも残っている。

六波羅蜜寺の「空也上人立像」にそっくりですね。

市聖と言われた空也は平安中期、最澄の教え「誰もが救われなければならない」を実践した人ですね。

 

★重文 聖観音菩薩立像 平安時代12世紀 滋賀・延暦寺蔵 

円仁が比叡山・横川(よかわ)に開いた首楞厳院(しゅりょうごんいん)(横川中堂)の本尊。

慈愛に満ちた笑みを浮かべ、腰を捻り右足を踏み出す姿勢は衆生救済の歩みをあらわしている。

 

最澄自刻の薬師如来像(秘仏)に最も近いと言われている仏像

重文 薬師如来立像 平安時代10世紀 京都・長源寺蔵

長源寺 薬師如来立像

頭の盛り上がりがなだらかな形。

額が狭い。

衣紋をY字に刻む。

この特徴は最澄が作った仏像に似ているとか。

 

最澄最後の言葉

「我がために仏を作るなかれ」

「我がために経を写すなかれ」

「我が志をのべよ」

と言い残し、822年6月4日57歳で亡くなりました。

最澄の教えは1200年たった今でも不滅の法灯(1階―2に展示)とともに大切に受け継がれています。法華経の理想世界の実現のために生涯をささげた人ですね。

不滅の法灯(1階―2に展示)