2024年5月京都国立博物館「雪舟伝説―画聖(カリスマ)の誕生―」5月26日まで

巡回なしの京都限定開催です。

そして〈本展は雪舟の国宝全6件が勢揃いするも「雪舟展ではありません」〉と但し書きがあります!

雪舟(1420-1506?)の影響を受けた画家の展覧会ということ?

とは言え雪舟の国宝作品6件が一挙に拝見できるすごい展覧会です。

また雪舟は伝説も多く、例えば少年時代に寺で叱られた雪舟が「涙でネズミの絵を描いた」という有名なエピソードをご存じでしょう。

1955年にウィーンで開催された世界平和評議大会では、レンブラントモーツァルトドストエフスキーに並び、雪舟が世界の十大文化人の一人に選ばれました。没後450年を経て、雪舟はついに「世界の雪舟」となりました。

雪舟に対する評価がいかに突出したものであるかがわかります。

雪舟の国宝全6件のうち私が一番見たかった作品は~~~

★国宝「四季山水図巻」通称「山水長巻」室町時代(1486年)山口・毛利博物館蔵

雪舟67歳の作品です。 

16mの巻物を3期に分けて展示されました。

 

私の絵巻の楽しみ方

それはこの絵巻の中をたどって歩くこと!

旅は春から始まり冬で終わっています。

一人の文人らしき人が険しい山道を登っていくところから始まります。

 

雪舟独特の力強い筆さばきで描いた垂直にそびえたつ断崖。

波に削られ無数に穴を開ける岸壁。激しく岩を描き出している。

夏の海辺、人々ののんびりとした穏やかな営み。寄り添うように船がつながれて。

秋の山あいは祭りのように大勢の人出でにぎわっている。

お店の軒下に集う人たち。

やがて冬が来る。白く輝く雪山。人影もなく静まり返った城壁の町。

絵巻は中に没入すると楽しいでしょう~?!

皆様も如何ですか~?!

 

2番目に好きな作品は

★国宝「慧可断碑図(えかだんぴず)」室町字時代(1496年)愛知・斉年寺蔵

愛知県にあるって知っていました~?!

このお寺に行ったことがありますが、無造作な誰もいないお部屋に、しかも自由に出入りできるところに掛かっていました。はて?レプリカなの・・・

雪舟77歳の作品でドラマティックな人物画です。

禅宗の祖・達磨と弟子になりたい神光(のちの慧可・えか)の物語。

ギョロリと大きな目で虚空をにらんでいるのが達磨、座禅を9年間続けている最中。

後ろに控えている慧可(えか)は決意を示すために自らの腕を切り落とし覚悟表明を!

よく見ると腕は血がにじんでいる。

洞窟の中で繰り広げられる師と弟子のドラマです。

 

3番目に好きな作品は

★国宝「天橋立図」室町時代(16世紀)京都国立博物館

不可思議な絵!どこまでがリアルなの~?

絵の中の建物はすべて実在していますが、そのほかは実在とはかけ離れ、まるで空の上から眺めて描いたようなのです。この当時ドローンもありませんから不思議なのです。

 

その他の国宝

★国宝「秋冬山水図」2幅 室町時代 15世紀 東京国立博物館

 

★国宝「破墨山水図」室町時代(1495年)東京国立博物館

弟子に与えた作品。


★国宝「山水図」室町時代 16世紀(絶筆)

 

続いて・・雪舟をお手本にしたと思われる絵師と作品

真っ先に挙げたいのは「我こそは雪舟の後継者だ~」と名乗った長谷川等伯

長谷川等伯筆「竹林七賢図屏風」桃山時代(1607年)京都・両惻院蔵(部分)

落款に「自雪舟五代」と記されている。こうした名乗りが一種の権威になったそうです。

 

狩野探幽筆「山水図屏風」江戸時代(17世紀)京都・長福寺藏

探幽が様式を確立するうえで雪舟を学んだことがよく分かる作品。

 

★曽我蕭白(そがしょうはく)筆「富士三保図屏風」江戸時代(18世紀)滋賀・MIHO MUSEUM蔵

構図が伝雪舟筆「富士三保清見寺図」(上)にそっくり。蕭白雪舟をお手本にしている。

 

伊藤若冲筆「竹梅双鶴図」江戸時代(18世紀)出光美術館

雪舟筆「四季花鳥図屏風」の鶴にそっくり。若冲雪舟の影響を受けている。

 

司馬江漢(しばこうかん)筆「駿州八部富士図」江戸時代(1789年)

江漢は雪舟と同じ富士山を望み感動したと綴っている。

 

江戸時代が圧倒的に多いのは、赤外線で落款をみると「雪舟」の下から別名、例えば「等伯」などが浮かび上がる。雪舟ブランドを欲しがる大名家などが多かったからかも。

雪舟の評価が確立し「画聖」と呼ばれるようになりました。

さまざまな画家たちが雪舟を慕い、その作品に学びながら、新しい絵画世界を切り開いていきました。

この展覧会で初めて雪舟がいかに慕われていたのか知ることが出来ました。

まさにカリスマですね。

大阪・中之島美術館「モネ連作の情景」展に行ってきました~(^^♪

1874年に第1回印象派展が開催されてから150年の節目を迎えることを記念して開かれた展覧会です。全作品がモネのものだけと言う珍しい展覧会。

 

クロード・モネ(1840~1926年)の代名詞と言えば「連作」ですよね。

特に「睡蓮」は有名です。今回はさらに「積みわら」、「橋」などをモティーフとした作品がありました。

 

モネはこれまでだれもやっていなかった「連作」と言う珍しい表現手法を取り入れました。

連作が始まるのは、1883年春、42歳の時、セーヌ川流域のジヴェルニーに移り住んだころからです。

連作 

1:スイレン

1890年代後半からは300点もの「睡蓮」に取り組みました。最初は風景として描かれていた睡蓮は、だんだん視線が水面に集中していき、絵の主題がもはや睡蓮の花ではなく、植物と太陽の光が作り出す世界になっていきました。

★「睡蓮」1897-98年頃 ロサンゼルス・カウンティ美術館(チラシより) 

蓮の花を拡大すると・・・筆触が大きいのが分かりますね。

 

「睡蓮の池」1918年頃 ハッソ・プラットナー・コレクション蔵

視覚障害白内障)に悩まされるようになった1908年頃からは、筆致はより粗く、対象の輪郭は曖昧になり、色と光の抽象的なハーモニーが画面を占めるようになりました。

★「睡蓮の池」1907年 石橋財団アーティゾン美術館 ※大阪展のみ

第5章「睡蓮の部屋」では大阪会場でだけ展示される5点を含む睡蓮や藤の作品を見ることが出来ました。(この部屋は写真撮影OK)

 

2:積みわら

連作最初のモチーフは積わらです。農夫にお金を払ってまでフランスの豊かさの象徴だった積わらを描きました。

★「ジベルニーの積みわら」1884年ポーラ美術館蔵

★「積みわら、雪の効果」1891年スコットランド・ナショナル・ギャラリー 蔵

これは「積みわら」の15点の連作のうちの1点です。

ジヴェルニーの自宅近くで目にする秋の風物詩「積みわら」。それらが光を受けて刻々と変化していく様子を、モネは複数のカンヴァスを並べて同時進行で描きました。

 

3:ウォータールー橋 

ロンドンのテムズ川に架かる大きな橋

1899年からはロンドンを訪れ、「チャリング・クロス橋」や「ウォータールー橋」などの連作を数年かけて描きました。

曇り、夕暮、日没の連作を比べてみると・・・・・

★「ウォータールー橋、ロンドン 曇り」1900年ヒュー・レイン・ギャラリー 蔵

遠くの空はピンク色。だんだんあたりが暗くなり始めて・・・

光の描写は全体に淡くて、遠い空は綺麗なピンク色。

★「ウォータールー橋、ロンドン 夕暮」1904年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵

夕暮時、あたりがだんだん暗くなって・・・

光がうっすらと、ぼんやりとしてきました。

★「ウォータールー橋、ロンドン 日没」1904年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵

ピンク色の夕日にそまってきた・・・

光が温かくやわらかに・・だんだん闇に包まれていく。

確かに同じ風景でもお天気や時間が違えば変わって見えますね。

こうして並べてみると時間の経過が読み取れます。

★「チャリング・クロス橋、テムズ川1903年リヨン美術館蔵(大阪展限定)

 

 

日本初公開となる人物画の大作「昼食」(1868-69年)、オランダで描いた風景画《ルーヴル河岸》(1867年頃)など、モネが印象派となる前の作品も見ることが出来ました。「昼食」1868-69年 油彩、カンヴァス 231.5×151.5cm シュテーデル美術館(日本初来日)

 

また連作以外にも素晴らしい風景画を見ることが出来ました。

★「ラ・マンヌポルト(エトルタ)」1883年 メトロポリタン美術館

フランス北部のノルマンディー地方、エトルタの奇岩ラ・マンヌポルトは数年を置いて描きました。

★「ヴェンティミーリアの眺め」1884年ケルヴィングローヴ美術館・博物館

移ろいゆく時間や光とのたゆまぬ対話を続けた画家の生涯をざっとたどってみました。

モネは「水の画家」と言われるように水のある美しい風景画ですね。私の一押し!

やはりモネは人気絶大!ものすごい混みようでした。

大阪展45万2943人が来場。個別の展覧会として同館の最多動員記録を更新。
東京展と合わせると延べ計91万7072人だそうです。

 

2024年3月あべのハルカス美術館開館10周年記念「円空―旅して、彫って、祈って」(4月7日まで)に行ってきました~(^^♪

江戸時代の修行僧・円空(1632~1695)が彫った表情豊かな「円空仏」が約160体大集合しました。

さすが10周年記念、力のこもった展覧会です。

 

素朴でダイナミックな円空仏

円空が彫った神仏は、ほほえみや怒りの形相など、実に表情豊かです。

この円空独自のスタイルに惹かれる人たちは多いことでしょう。

 

今回の展覧会では今まで見たことがないような大きな神仏像にお目にかかることが出来、圧倒されました。また修行を重ねていくうちに、すべすべとした作風からごつごつとした作風へ変化していくさまもたどれました。

 

さて 円空は修験者として東海3県(岐阜県・愛知県・三重県)を中心に、北海道から近畿地方まで行脚したことはご存じでしょうか?

円空は各地で天災や病などに苦しむ庶民のために神仏を彫り続け、祈りを捧げたのです。


また円空奈良時代の名僧・行基を尊敬し、重い税や労役、疫病に苦しむ庶民に手を差し伸べました。

 

円空さん」と親しまれている生涯や活動を、彫刻のほか、絵画や文書など貴重な資料を通して知ることができました。
 

 

第4章「祈りの森」だけ写真撮影OKでした。

この章は「円空仏の寺」として有名な岐阜県・千光寺に伝わるお像が並んでいます。

千光寺は約5400体現存する「円空仏」のうち、64体を所蔵しています。

 

★両面宿儺(すくな)坐像 1685年(貞享2年)頃 岐阜県・千光寺蔵

岐阜県指定文化財

日本書紀仁徳天皇六十五条には、両面宿儺はひとつの胴体に2つの顔がある天皇の逆賊として記され、一方で地元の飛騨や美濃では、龍や悪鬼を倒した英雄として伝承が残っています。

しかし、円空は通常の両面宿儺と違い、正面を向いて斧を持った武人の背後にもう一人の武人を負いかぶせるように表現しています。

 

★「観音三十三応現身立像」1685年(貞享2年)頃 岐阜県・千光寺蔵

岐阜県指定文化財村人が病気になったときは、借り出して平癒を祈り、治ると返したという伝承が残っています。

やさしい微笑みをたたえていますね。

31体現存する同形の菩薩像「観音三十三応現身立像」には、「円空さんにすがる信仰」が表れているとか。

 

金剛力士立像(吽型)1685年(貞享2年)頃 岐阜県・千光寺蔵

岐阜県指定文化財

像高2メートル以上ありそう。こんなに大きいのは初めて見ました。

牙が生えている~!

 

不動明王像及び二童子立像 1685年(貞享2年)頃 岐阜県・千光寺蔵

岐阜県指定文化財

一材を二つに割り、木の表面側から不動明王像を造り、残りの材をさらに半分に割ってそれぞれの木の芯側から二童子像を造る。

 

★弁財天坐像及び二童子立像 1685年(貞享2年)頃 岐阜県・千光寺蔵

岐阜県指定文化財

弁財天は頭上に宇賀神を戴く。二童子像は背面墨書から千光寺に隣接する下保白山神社に伝わった像。このふくよかなお顔!

 

★十一面観音菩薩立像及び両脇侍立像 1685年(貞享2年)頃 岐阜県・千光寺蔵

岐阜県指定文化財

下保白山神社に伝わった三尊像。

 

烏天狗立像 1685年(貞享2年)頃 岐阜県・千光寺蔵

岐阜県指定文化財

とがったくちばしを持つ。迦楼羅(カルラ)とも呼ばれる。

 

★御法神立像 1685年(貞享2年)頃 岐阜県・千光寺蔵

岐阜県指定文化財

1本の木を四つに割り、木裏を前面にして作る。

 

賓頭盧尊者坐像(びんずるそんじゃ坐像)1685年(貞享2年)頃 岐阜県・千光寺蔵

岐阜県指定文化財

円空が自身の姿を彫ったと伝わるが、表面が永年撫でられたような艶があり「撫で仏」賓頭盧尊者の像であろう。(すべてキャプションより)

2024年3月京の冬の旅に行ってきました~(^^♪

非公開文化財特別公開のうち紫式部源氏物語ゆかりの地を訪ねて~

★蘆山寺「京の冬の旅」37年ぶりの公開です。

京都御所のほど近く、1000年の歴史を誇る蘆山寺は『源氏物語』の作者紫式部が育った邸宅と言われています。

江戸幕府の御用絵師・住吉廣尚筆「若紫」図

この場面は可愛らしい女の子を垣間見るところです。光源氏は将来自分の妻(紫の上)にしたいと思い幼い少女・若紫を引きとり育てました。

その父住吉廣行筆「絵合」の図(源氏物語第17帖 今風の絵と古風な絵との対決の場面)

 

その他与謝野晶子の自筆の和歌「源氏物語礼賛」や本堂前の白砂に州浜形の苔と桔梗のお花を配し『源氏物語』の世界を表現した優美な「源氏庭」などが公開されました。(桔梗のお花が咲く時期は6月~9月頃です。)

 

 

東本願寺 渉成園枳殻邸)(しょうせいえん(きこくてい))

渉成園は「京の冬の旅」51年ぶりの公開,

光源氏のモデルの一人と言われている源融(みなもとのとおる)ゆかりの名勝庭園。

★園林堂(おんりんどう)「京の冬の旅」初公開

ここは阿弥陀如来像を安置する持仏堂です。

棟方志功の肉筆の襖絵44面を拝観しました。

 

その後ランチへ

京料理「ちもと」でお雛様拝見と雛御膳をいただきました。ちもとのお雛様はさる宮家のお雛様の予備に造られたものとのこと。さすが宮家、とても見事でした。ほんの一部ですが、しばし目の保養にご覧ください。

ネズミの横にネズミ捕りのかごが~~~!



お料理は伝統的な京料理。お味も優雅、次々と出される手の込んだものばかり。ひな祭りらしく美しく可愛らしい器にも見とれてしまいました。

 

今日一日は経験がないほど京を楽しみ、思い出となる素敵な日となりました。

 

2024年3月「古代メキシコ―マヤ、アステカ、テオティワカンー」展(5月6日(月・休)まで)

古代メキシコの「赤の女王」(7世紀後半)に一目会いたくて~~~行ってきました。

美しい赤!ここは夢か幻か~~神秘の世界にしばし浸ってきました。

そしてランチはメキシコ料理とデザート(テオプロマ・カカオ「神様の食べ物」)。

今日1日は私のメキシコデーとなりました。

 

 

全作品写真フリーでした。やったー!

 

1994年に発見されたマヤ文明・王妃の墓。そこは真っ赤な辰砂(水銀朱)におおわれた部屋。

そして真っ赤な棺の中に眠っていたのは王妃。

パカル王(620-683年ころ)の妃かも?(可能性大とか)

★No90《パカル王とみられる男性頭像》(複製)原品:マヤ文明620~683年頃

パカル王墓内で見つかる。頭頂部で髪を結わえ、前に垂らした形は、トウモロコシ神の姿をまねたと考えられる。

 

王妃の装飾品:作品NO99~109

★99《赤の女王のマスク》クジャク石、翡翠などで作られている。緑色で再生すると信じられていた。王朝美術の傑作

★100《赤の女王の頭飾り》マヤ神話の雨神・チャフクをかたどっている。ヒスイ、貝、石灰岩で。

★101《赤の女王の冠》冠と首飾りは特別な儀式で使うもの。ヒスイ輝岩石の平玉。頭蓋骨の周囲に置かれていたことから二重の髪飾りと考えられている。

★102《赤の女王の首飾り》管状、玉状のビーズ。死後に役立つようにと埋められたのかも。

★103《赤の女王の胸飾り》マヤ王族の女性が身に着けたケープ。170個以上のヒスイ輝岩石で作られている。

★104《赤の女王のベルト飾り》ヒスイ輝岩石ではなく斧形の石灰岩作り。マヤ王族の衣装の一部。

★105《赤の女王の腕飾り》小さな緑岩石のビーズ。両手首にはそれぞれ12連。

★106《赤の女王の足首飾り》辰砂の痕跡がある球状のビーズ。

★107《小マスク》緑玉髄、黒曜石片、貝片で作られた小さなマスク。104番の板状の石灰岩とともにベルトを飾っていたと考えられる。

★108《貝》貝殻は水という原初の世界を表す。

★109《小像》小さい彫刻は赤の女王の生前の姿。

 

さて、メキシコには35もの世界遺産があります。

この展覧会は紀元前15世紀から後16世紀のスペイン侵攻まで、3千年以上にわたって中米メキシコの地で栄えたテオティワカン文明、マヤ文面、アステカ文明の3つの地域の文明を紹介しています。

火山の噴火や地震、干ばつなどの厳しい自然環境の中で、普遍的な神と自然への祈り、そして多様な環境から生み出された独自の世界観と造形美を通して、その奥深い魅力を今に伝えています。(チラシより抜粋)

 

まずは古代メキシコの基礎知識を頭の片隅に~!

・紀元前1500年ころから食料はトウモロコシや野生の動植物だったが、時代が進むにつれ正確な暦による栽培、そして王権確率、儀礼、いけにえ文明にと発展しました。

・メキシコ先住民の世界観は、太陽が西に沈んだ後(死んだあと)夜明けとともに東から再生すると信じられていた。

・古代メキシコでは黄金は大変珍しい。神の排泄物と思っていた。黄金は神への捧げもの。

・人身供儀(いけにえ)の習慣は「万物は神々の犠牲により存続しているから、自らも他者のために犠牲を払うべき」と言う考え。また国家の覇権の誇示でもあった。

 

時代に沿って興味深かったものを少しご紹介したいと思います。

1:テオティワカン文明は紀元前100年から紀元後550年まで

神々の都

テオティワカンはナワトル語で「神々の座所」と言う意味

メキシコの中央高原(海抜2300m)にある都市遺跡

5世紀から9世紀に隆盛。

テオティワカンの三大ピラミッド

・太陽のピラミッドは火、戦い、天空の象徴

・月のピラミッドは水、豊穣、大地の象徴

・羽毛の蛇ピラミッドは金星の象徴。

「太陽のピラミッド」からの出土品

★NO23《死のディスク石彫》(300~550年)

メキシコ先住民の世界観では太陽は沈んだ(死んだ)のち、夜明けとともに東から再生すると信じられていました。この作品は地平線に沈んだ夜の太陽を表わすと考えられています。復元すると直径1.5mにもなる大型の石彫です。

★NO24《火の老神石彫》(450~550年)

火を焚くための石像。頭に火鉢。火や太陽に関する儀式のためのものと考えられる。

背景の写真が素敵!古代メキシコへタイムスリップしたみたい!!!

「月のピラミッド」からの出土品

★NO27《首飾り》(200~250年)

ここで37人の生贄の骨が見つかった~。豪華な副葬品を身に着けていた。

★NO28《モザイク立像》200-250年

12人の生贄の骨と一緒に発見された。

胴体はヒスイ輝岩石の小片、口と目は貝殻、黄鉄鉱。

西を向いて立った状態で発見されたそう。 胸部などのラインから、女性と考えられている。

「羽毛の蛇ピラミッド」からの出土品

巨大な石彫で飾られた羽毛の蛇ピラミッドは、全体が王の権威の象徴。

メソアメリカで最初の大モニュメント。(メソアメリカとはメキシコ中央部から中央アメリカにかけて興った古代文明の総称)

ちなみに羽毛の生えた蛇はこの世に存在しません。神話から生まれたのかも?

★NO41《羽毛の蛇神、シパクトリ神の頭飾り》(200年ー250年)は王権の象徴。

シパクトリ神は時(暦)の始まりを表すワニの姿をした神。

★NO46《嵐の神の土器》(150年-250年)テオティワカンで最も重要な神の一つ。農業に欠かせない雨をつかさどる嵐の神。

★NO44《トランペット》(150-250年)巻貝の先端を切り取って吹き口にした楽器

★NO50《香炉》(350~550年)香を焚く胴部と煙突、蓋からできている。

矢、盾などのモティーフから戦士の魂を鎮める儀式に使われたと考えられる。

お香はコーパルという木の樹脂が良く使われたらしい。

★NO54《鳥形土器》(250~550年)

まんまるお目目とたっぷりとした胴体が可愛らしい。

多くの貝が貼り付けられた土器。

メキシコ湾岸地域との交易で貝などを手に入れていた商人の墓からの出土品。

 

 

2:マヤ文明紀元前1200年頃から紀元後1697年まで

後1世紀には王朝が成立

都市間の交易、交流、戦争を通じて大きなネットワーク社会となる。

公共建築(ピラミッド)、集団祭祀、精密な暦を持つ力強い世界観

球技が儀式として行われ、他国との伝統、伝達の役割を果たした。

★NO85《猿の神とカカオの土器蓋》(600年~950年)

猿の神を表し、首には猿の好物のカカオの実の飾り。

カカオは飲料のほか通貨などに使われる重要な交易品。

★NO87球技《トニナ石彫171》(727年ころ)

球技の場面を描いた石彫。中央のゴムボールの上にマヤ文字で西暦727年に当たる年が書かれている。右がカラムルの王、左がトニナの王。両国の外交関係を象徴。

 

3:アステカ文明1325年から1521年まで

14世紀~16世紀にメキシコ中央部に築かれた文明。湖上都市

前時代の伝統を受け継ぎながら、他の地域との儀礼や交易、戦争などが行われた。

★NO123《鷲の戦士像》(1469~86年)

「鷲の家」で見つかった等身大とみられる戦士の像。

王直属の「鷲の軍団」を構成した高位の戦士、または戦場で英雄的な死を遂げ鳥に変身した戦士の魂を表している。

頭には鷲の髪飾り、羽毛や鍵爪の形の衣装を身に着けている。

★NO127《トラロク神の壺》(1440~69年)

水を貯えるツボ。

嵐の神・トラロク神の特徴は丸い目、牙。

雨の神であるトラロクと太陽神・ウィツィロポチトリは重要な神で、多くの祈りや供え物、生贄を捧げられ恵みの雨や豊穣を願った。

 

金のアクセサリー

金製品は珍しく貴重品。神への捧げものに使われた。

★NO136 豊穣を願った巻貝形のペンダント(D)

★NO139 生命力の象徴である人の心臓をかたどったペンダント(A)

 

見終わってとても感心したのは飾り方・レイアウトの素晴らしさでした。

部屋ごとに壁いっぱいの大きさのメキシコ古代遺跡の写真。

作品を眺めると同時にその景色が目に入り、まるでメキシコ古代に佇んでいるような気分になるのです。

歴史にご興味がありましたらお勧めの展覧会です~~~。

2024年2月東京国立博物館その2「本阿弥光悦の大宇宙」展 平成館1月16日~3月10日まで

スーパー文化人~~~~?

本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)(1558~1637年)は京都生まれ。

レオナルド・ダ・ヴィンチの生まれ変わり?と言われている芸術家です。

その凄さをこの展覧会でたっぷりと見て来ました。

 

本阿弥光悦坐像 伝本阿弥光甫作 江戸時代・17世紀

本阿弥家は刀剣の研ぎ、鑑定を行う一族。豊臣秀吉が設置した刀剣の鑑定をする部署で活躍しました。

光悦は幼いころから刀剣の価値を見定める審美眼を磨き、のちに徳川将軍家や大名たちにも一目置かれる存在でした。

ここで磨かれた審美眼は「書の達人」として、あるいは「国宝の光悦蒔絵(漆工芸)」や「国宝の陶芸」などなどに発揮されています。

その業績はまさにスーパー文化人~~~!

どの作品もアッと驚く着眼点!革新的ともいえる造形美!

ほんの一部ですがご紹介します。

光悦と言う名前に憶えがなくても、学校の教科書に掲載されている国宝の硯箱を覚えていらっしゃいますか~~~?

展覧会会場の一番初めに燦然と輝いて展示されていたのは~

★国宝《舟橋蒔絵硯箱》本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館

文房具なのにこの奇妙な形!なにゆえに膨らんでいるのでしょう~?

実はこれが光悦の「仕掛け」、深い意味が潜んでいます。

上蓋の黒い大きな鉛板は橋(太鼓橋?)を表しています。ふくらみはこの橋がアーチ型をイメージしていたからでしょう。

 

その橋の下の金地に船が3艘描かれています。

ふた全体には光悦流の銀色の文字が躍るように散らされています。これは光悦が親しんだ『後撰和歌集』の中の和歌

「東路の さのの舟橋 かけてのみ 思ひわたるを 知る人ぞなき」

(東国の佐野の舟橋を架け渡す――その「かけ」ではないが、思いをかけてずっと恋し続けていることを知ってくれる人がいないことよ)を題材にしたもの。

独特の表現やモチーフの背後には、とくに光悦が深くたしなんだ謡曲の文化があったことがうかがえます。(キャプションより)

★重文 花唐草文螺鈿経箱(はなからくさもん らでん きょうばこ)

本阿弥一門の菩提寺である京都・本法寺に、光悦は『法華経 幷 開結』(ほっけきょう ならびに かいけち)10巻1具とこの青貝の箱を寄進しています。漆工品では工房作ではなく、光悦自身の作と思われるのはこれただ一つの作例とのこと。

光悦が一門の菩提寺本法寺法華経と経箱をともに寄進したことから極めて篤い信仰心がうかがえます。

 

光悦の書の名品

重要文化財《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》本阿弥光悦筆/俵屋宗達下絵(部分)17世紀江戸時代(京都国立博物館蔵)

飛び渡る鶴の群れを金泥、銀泥で描いた料紙に、平安時代までの三十六歌仙の和歌を散らし書きした一巻

なんと~全巻一挙公開。全長は13メートル超!展示会場の天井にはこの作品の大判がひらひらと張られています。

重要文化財《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》 本阿弥光悦筆・俵屋宗達画 京都国立博物館 琳派 京(みやこ)を彩る (youtube.com)

復元した作品を見たことがあります。銀色と金色の輝きが巻き進むたびに輝いてそれはそれは美しかったです。

光悦は、書の世界では近衛信尹松花堂昭乗とともに寛永の三筆のひとりで「光悦流」の祖。

光悦の書は斬新な図案料紙を用いた和歌巻に代表される墨の濃淡、肥痩(ひそう)をきかせた筆線の抑揚と、下絵に呼応した巧みな散らし書きで知られます。

★《蓮下絵百人一首和歌巻断簡》本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 東京国立博物館

法華信徒にとって特別な意味を持つ蓮を描いた料紙に、光悦が小倉百人一首を書いた和歌巻の断簡。

深く透明感のある文字の墨色、鉛色の蓮華はとてもうまく調和していると思います。

下絵に呼応する巧みな散らし書きは光悦の深い信仰心の現れではないでしょうか?何故ならば蓮華は法華経のシンボルの花。それを題材にしているからです。

100首の和歌のうち60首分が関東大震災で焼失し、残る断簡(切断された一部)が各所に分蔵されています。

本阿弥光悦筆《松山花卉摺下絵新古今集和歌巻》江戸時代・17世紀

線の太細の抑揚が強いのが本阿弥光悦の書の特徴。紙全体に対するレイアウトの感覚も絶妙。

光悦茶碗

光悦は50代後半頃卒中に罹り手の震えに悩まされました。

震えが気にならない作陶を1615年(58歳)以降に本格化させ、茶碗制作を行いました。

★国宝《白楽茶碗 銘 不二山》(これは出展されていません。参考まで)

窯の中で偶然にも下半分が黒く焼け生まれた白と黒の色彩。この偶然の産物に光悦は雪を頂く富士山を見出した。

娘が嫁ぐとき、嫁ぎ先に渡しました。富士山は一つしかない、二つとない自分の娘と言う親心が込められているそうです。

 

重要文化財 《黒楽茶碗 銘 時雨) 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 愛知・名古屋市博物館蔵

今回展示の「村雲」「時雨」「雨雲」の3つは、どれも表面のもわもわした釉薬のようすを雨模様に見立てて名づけられたものです。

重要文化財《赤楽兎文香合》

蓋表に白土と黒の上絵具で草むらを駆ける兎の姿を表しています。箆(へら)でざくざくと大胆に削り、スピードをもって筆を走らせる様子が目に浮かぶようです。 江戸時代から近代にいたるまで、名だたる茶人・数寄者が愛蔵してきた「出色の出来」と評される香合です。(キャプションより) 

 

「光悦村」

1615年大阪夏の陣の後、徳川家康から京都北部の鷹峯の地を拝領し、本阿弥一族や町衆(豪商)、職人(唐織屋、筆師、紙師、塗物師、金工、蒔絵師、金箔屋など)を率いて移住、芸術村(光悦村)を築きました。

共に暮らす職人たちに指示を与えながら多彩な作品を作ったと考えられています。

刀剣で培われた人脈は光悦の後半生の芸術活動に影響を与えています。

★志津兼氏作の重要美術品《短刀 銘 兼氏 金象嵌 花見形》鎌倉〜南北朝時代、14世紀 

光悦の唯一の指料(さしりょう、自分が腰に差す刀)とされる短刀。

茎には本阿弥光徳の金象嵌銘があり、その銘字は光悦の筆になると伝わります。数少ない江(ごう)の作刀に、さらに光悦の書という希少価値が加えられた、唯一無二の存在です。(資料より)

★《刻鞘変り塗忍ぶ草蒔絵合口腰刀》(江戸時代、17世紀

鞘全体に忍ぶ草(写真添付)をあしらった拵(こしらえ、日本刀の外装)

拵(こしらえ:刀身をおさめる刀装)は鮮やかな朱漆塗りの鞘(さや)に金蒔絵で忍ぶ草を全体に表わした華麗なものです。花形見の金象嵌と忍ぶ草の金蒔絵、その言葉や意匠の意味を読み解くと、光悦の秘めた想いがみえてきます。

忍ぶ草はこんな植物です。

 

 

展覧会を見終わって~

ホントに天才芸術家!

書、陶芸、漆工芸、謡曲の本の出版、茶道、篤い信仰心などジャンルを超えたマルチアーティスト。

本阿弥光悦は残された資料が少なく謎に包まれたまま。

私にはまだまだ謎の芸術家でした。

2024年2月東京国立博物館その1 国宝・中尊寺金色堂建立900年記念 特別展「中尊寺金色堂」1月23日〜4月14日迄

2024年は、藤原清衡(きよひら)(1056〜1128)が天治元年(1124年・平安時代)に中尊寺金色堂を建立してから900年の節目の年に当たります。

 

金色堂には3つの須弥壇があり、そのうち初代・清衡が眠ると考えられている中央壇とその壇上に安置されている国宝の仏像11体が寺外で初公開されました。

 

清衡の『中尊寺建立供養願文』には

「長い年月の合戦で命を落とした人々の霊を敵、味方の区別なく弔う「怨親(おんしん)平等」という思想と、戦争を認めない非戦の願い」が書かれています。(作品NO1)これを真っ先に読んだとき900年前と同じ、戦争が多い今の世を思い、胸が苦しくなりました。

 

世界遺産「平泉の文化遺産」のシンボルである中尊寺金色堂は東北地方現存最古の建物です。建物全体が金色で、螺鈿蒔絵の装飾が施され、とても絢爛豪華です。

 

それではいつものように心に響いた作品をご紹介したいと思います。

金色堂

8Kならではの映像で金色堂へ”没入” 8KCG : ⒸNHK/東京国立博物館/文化財活用センター/中尊寺 

中尊寺の覆堂(金色堂または阿弥陀堂)と呼ばれるコンクリートの建物の中には、初代の藤原清衡から、基衡(2代)、秀衡(3代)、泰衡(4代)まで奥州藤原氏4代の遺体が安置されています。

写真の通り、螺鈿紫檀、貴石などで装飾された堂内は豪華絢爛そのもの。

金色堂 内部

 

金色堂の特筆すべきところは、須弥壇内部の下方に奥州藤原氏4代の遺体を安置したということ!まさにここは墓所でもあるのです。

会場には初代清衡が安置されていた金箔押の木棺や、遺体がつけていた装飾具なども展示されていました。

重要文化財《金箔押木棺》(12世紀)中尊寺金色院蔵

遺体が収められた金箔が貼られた木の棺。

重要文化財「金塊」重要文化財「金塊」平安時代中尊寺金色院蔵)

棺の副葬品の中には金塊もあり、その重さは32グラム。

 

今回、中央壇の壇上に安置されている阿弥陀三尊像(阿弥陀如来坐像、勢至菩薩立像、観音菩薩立像)(3体)と地蔵菩薩像(6体)、二天像(増長天立像、持国天立像)合わせて国宝仏像11体が展示されました。寺外で中央壇上のすべての仏像がそろって展示されるのは初めてのことです。

展示されている仏像はすべて国宝、12世紀、岩手・中尊寺金色院蔵です。

阿弥陀三尊像

阿弥陀如来坐像を中心に、前方左右に勢至菩薩立像と観音菩薩立像が並ぶ全身金色の三尊像です。

ふっくらとした頬、穏やかな丸顔は平安時代に一世を風靡した「仏師・定朝の様式」にそっくりです。造像には都の仏師が関与したのではないでしょうか?

 

★中尊 阿弥陀如来座像 像高62cm

後頭部の螺髪の刻み方や右肩にかかる衣が別材なのは当時としては新たな造形と技法だそうです。

 

★向かって左 勢至菩薩立像(部分)

★向かって右 観音菩薩立像(部分)

金色堂の創建時(1124年)に造られたと考えられることから当時の平泉の文化水準の高さがうかがえるとのこと。

★《地蔵菩薩立像》

向かって右側

く向かって左側

阿弥陀三尊の両脇に3体ずつ安置されている6体の地蔵菩薩立像です。 頬がやや引き締まっていることや腹帯を見せるなどから、阿弥陀三尊像よりもあとの時代(藤原2代・基衡)に造られたのでは?と考えられています。

 

二天像

★《持国天立像》

★《増長天立像》

大きく腰をひねって手を振り上げる躍動感にあふれた持国天増長天。 引きしまった締った顔と大きくひるがえる袖の表現が特徴。  

こうした激しい動きの表現は、もう少しあとの時代(運慶の頃)の様式に見られるもので、時代を先取りしたような感覚が奥州の仏像にみられるそうです。

 

かつて金色堂を荘厳していたまばゆいばかりの名品50点、そのうち国宝が41点です。

★国宝・金銅迦陵頻伽文華鬘華鬘(こんどう かりょうびんがもん けまん)

華鬘(けまん)は、堂内を飾るための用具で、花輪をかたどるきらびやかな工芸品のこと。

この華鬘(けまん)は極楽浄土に住むという、上半身が人間で下半身が鳥の空想上のいきもの・迦陵頻伽(かりょうびんが)と、極楽浄土に咲くという宝相華唐草を透かし彫りにした華麗な作りになっています。

 

★国宝・紺紙金銀字一切経中尊寺経)

紺紙に金字と銀字で一行ごとに交互に書写した一切経(様々な仏教典籍を集成したもの)で、初代清衡が発願したもの。「中尊寺経」とも呼ばれています。

料紙は京で調達したことが確実視され、見返し絵も当時の一流の絵師が担当したと考えられています。


★国宝・金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅 第七塔

 護国の経典を紺紙の染紙に書写した作品です。

 中央にそびえる金色に輝く九重の宝塔は近づいて見ると全部文字です!

 金泥で書いた『金光明最勝王経』の経文なのです。こうした経文の文字を使って宝塔を描き、『金光明最勝王経』をよりどころとするのはこの作品が唯一です。また日本で作られた宝塔曼荼羅としては現存最古のものです。

宝塔のまわりには金銀泥と顔料を使って釈迦説法図、釈迦説相図が描かれています。

 

★会場入口のスクリーンでは、原寸大(幅約7m×高さ約4m)の金色堂を超高精細の8KCGで再現した映像を上映、すべて接近し、拡大してくれます。

15年ほど前に拝観した時には、現地ではガラス越しにしか見られない金色堂の内部を見ることができました。

 

平泉の世界遺産金色堂をはじめ建築、絵画、書跡、工芸、仏像彫刻、考古、民族などの文化遺産が現在まで伝えられ、東日本の平安仏教美術の素晴らしさを垣間見ることが出来た展覧会でした。

平泉はまさにこの世の「極楽浄土」とも言える祈りの空間です。

都から遠く離れたこの地で栄華を極めた奥州藤原氏一族が眠る聖地なんですね。