2025年8月「正倉院 THE SHOW―感じる。いま、ここにある奇跡―」大阪歴史博物館8月24日まで
「正倉院という物語」を歩く没入型展覧会
正倉院文様を散りばめた美しい入口

この展覧会は、正倉院宝物そのものの展示ではありません。
巨大スクリーン(高さ4m、幅20m)に写し出される美しい宝物を美しい映像で没入体験できる展覧会です。

肉眼ではわからない高精細の映像なので、まだ見たことが無い細かな部分や質感を見ることが出来ました。
秋の風物詩、奈良の「正倉院展」ファンでとても混みあっていました。
この展覧会では足利義政、織田信長、明治天皇が天皇の許可を得て香りをかいだという、天下の名香「蘭奢待(らんじゃたい)」の香りをかがせていただける!!!
どんな香り?是非行かなくてはと~~とても楽しみにしていました。
ほんの一部ですが作品を紹介させていただきます。
お写真は素早く動く映像から撮ったものが多く、ピンボケです。悪しからず!
「正倉院の始まり」

★『国家珍宝帳』

正倉院宝物の始まりは、聖武天皇が生前使っていた遺愛品を東大寺の大仏に妻の光明皇后が献納した、その目録。
宝物660点以上を全長14mにわたって書き上げました。
その中に光明皇后の言葉が書かれています。
「夫が生きていた時、共に見つめ、共に使用し、楽しんだ宝物を見ていると、夫の在りし日のことを思い出し、涙が流れて体が崩れ落ちそうになる。だからこの宝物を聖武天皇の造った廬舎那仏様のもとに奉げる。」と・・・
聖武天皇の49日に間に合うように大仏に奉げられました。
遺愛品
囲碁 お二人で仲良く対局されているお姿が目に浮かびます。



螺鈿箱



靴

刀(部分)

★「漆金薄絵盤 乙」大仏に供える香炉を置く蓮の花をかたどった台。 32枚の蓮弁には、花鳥や迦陵頻伽(かりょうびんが)が 極彩色で描かれています。



超絶技巧の再現模造が(当時の技術、当時の材料、構造などと同じものを作った宝物)50件の内10件が展示されました。
★再現模造「蘭奢待(らんじゃたい)」


東南アジアに分布するジンチョウゲ科アクイラリア属の切り株などに樹脂や精油が沈着して出来た沈香の一種。 奈良時代頃に現在のベトナム付近から海を渡って 日本にやってきたものと考えられています。
宮内庁正倉院事務所のプロジェクトで科学的に分析し、その香りを忠実に再現することが出来ました。初公開。

会場にはガラス容器に再現した香料が入ったカバーを取って、香りを楽しむことが出来ました。その香りは3種類(杏仁、シナモン、ハッカ?)が混じっていたような???さわやかな優しい香りでした。


弦が5本ある世界で唯一の琵琶
会場でその音を聞くことが出来ました。


★再現模造「瑠璃杯(るりのつき)」
ガラス工芸家の迫田氏と金属造形家の田中氏が再現
コバルトブルーのグラス

グラス部分は西方で、台脚は中国で付けられた。
ペルシャ、中国、インドなど東西文化の融合を示す作品。
★再現模造

正倉院楽器の音が聴けるコーナーが設けられていました。
★正倉院の琵琶、尺八、笛などの音源に、ピアノ、ベースと言った現代楽器の音色を使って新たなメロディーを作曲して下さったのは音楽プロデューサーの亀田誠治さん。


正倉院宝物と現代アーティストのコラボでは
★陶芸では、陶芸家、絵付師の亀江道子さんの制作した1300年前の姿を表現したカップとお皿などの作品。


★デザイナーの篠原ともえさんは、正倉院宝物「漆胡瓶(しっこへい)」のペルシャ風動植物、昆虫文様からインスピレーションを受けてドレスを制作。



奈良時代の国際色豊かな文化を、今に伝える宝物が「残ってきたもの」ではなく大切に守り抜いて「残してきたもの」だという強い意思を改めて感じました。
正倉院を巡る1300年の旅をしました。9000件もの宝物を1300年近く守り伝えた “奇跡の宝庫”正倉院は、聖武天皇と光明皇后の愛の品々のはじまりだったのですね。
2025年7月 愛知県美術館「近代日本画のトップランナー 竹内栖鳳」 展 8月17日迄
日本画家・竹内栖鳳(たけうち せいほう)を御存知でしょうか~?
明治・大正・昭和と京都画壇の中心で、日本画の近代化を牽引した画家です。
「西の栖鳳・東の大観」と言われ東京の横山大観と並ぶ人です~!
栖鳳をまとめて拝見する機会がなかった名古屋での待望の回顧展でしたので楽しく拝見しました。
栖鳳ってどんな画家~?
展覧会に先駆け記念講演会に行ってきました。
要約
「竹内栖鳳 革新のエネルギー」
革新とは→「日本画を破壊する」、「日本画を大いに解放すべし」
江戸時代の日本画は鎖国状態だったのですね。その状態を解放しようとし、時には批判の的になったようです。
36歳(1900年渡欧)の時西洋絵画を学ぶ。
画題、画材、構成など新しい日本画に!
1902年「大獅子図」藤田美術館蔵

西洋美術や写生、立体、濃淡、陰影を取り入れた。
古い様式ではなく新機軸を目指した。
そのために古画を学び、西洋画法を取り入れ、写生を重視した。
明治・大正・昭和へと先頭を進み、教育者として「竹杖会」を結成し、たくさんの後進(上村松園、土田麦僊など)の範となった近代日本画のトップランナーとなりました。
早速素晴らしい栖鳳の絵を見たいと思います。

東京から京都に呼び出したモデルが裸になるのにまだ慣れておらず、恥じらい、ためらうモデルから着想を得た作品だそうです。

この柄の着物を高島屋が売り出しました。
栖鳳は明治22年から(25歳頃)、高島屋の商業デザイナーとしてデッサンや下絵を描いていました。
★「潮沙去来」昭和5年(1930)MOA美術館蔵
静岡県興津海岸風景



★「海幸(うみさち)」昭和14年(1939)

動物の絵の素晴らしいこと!
動物特集
栖鳳は雀好きで有名です。雀以外にもライオン、狐、アヒル、犬、ウサギなども。
★「百騒一睡」明治28年(1895)四曲一双 大阪歴史博物館蔵
右隻には騒々しい雀を、左隻には静かに目を閉じた洋犬、そのそばに子犬が遊ぶ。
円山派、狩野派、四条派など諸派の画法を学びながら写生の修練も踏まえ創造的であろうとした。(キャプションより)

左隻


右隻


★「虎・獅子図」明治34年(1901)六曲一双 三重県立美術館臓



★「獅子図」明治37年(1904)六曲一双 大阪歴史博物館蔵




栖鳳は明治33年(1900年)パリ万博、現地の美術教育など視察するために渡欧した。
各地の美術館、遺跡、美術学校等を見学。特に動物園に足繁く通い写生をした。
その時絵画の改革・実物観察の重要性を認識したそうです。
栖鳳のライオンや動物たちは匂い迄描いたと云われています。
★「枯野の狐」1897年京都国立近代美術館蔵
冬が近づき枯れ始めた野原。狐の体毛が生え変わり始め、白い毛が混じる姿。


大きな満月を見上げる狐。菜の花が散りかけ、過ぎ行く春の夜の光景を詩情豊かに描いています。なんてきれいな狐でしょう!


三日月の夜、わら塚で跳ねる一匹の狐。前足を振り上げ、まるで舞い踊っているようですね。躍動感やしなやかさがが良くわかります。


★「(若き家鴨」昭和12年(1937)二曲一双 京都国立近代美術館蔵
毛繕いするアヒル、餌をつついたりするアヒルなど、21羽のアヒルの喧騒が聴こえてくるような~。



身を寄せ合う2羽のウサギ、ウサギの毛並みの柔らかな感触

雪が降る中、一羽のカラス
どこか寂しげなのは、老境の作品だからかも。(栖鳳は1942年78歳で没)


2025年5月、6月 奈良、京都、大阪国宝展巡り~(^^♪
奈良国立博物館開館130年記念特別展「超国宝」―祈りのかがやきー展
大阪市立美術館 大阪・関西万博開催記念とリニューアル記念特別展「日本国宝展」
京都国立博物館 大阪・関西万博開催記念特別展「日本、美のるつぼ」展
万博のおかげで国宝のおよそ3分の1を拝見できるなんて~~~ラッキーでした。
奈良博初の本格的国宝展は前期、後期へと!!!
日本が世界に誇る国民の宝!
日本の歴史、文化を代表する芸術品を拝見出来ました。
合計4回新幹線に乗って、もの凄い長蛇の列に驚きながら~~~!(爆)
このような展覧会はもう無いかもと思い頑張って行きました。
見るものすべてがどれも素晴らしくて~~~!
教科書だけでなく、かつてお寺や展覧会場で拝観したことがある仏像なども
初めて360度グルッと見ることが出来ました。
今回初めて見た作品を主にご紹介したいと思います。
写真撮影は禁止でした。(薬師寺・水煙のみ許可)


という訳で図録、ネットからお借りしました。
奈良「超国宝展」より
法隆寺のお厨子(ガラスケース)からお出ましになり、部屋の真ん中に一人屹立していました。キャプションには「天に向かって立ち上がる永遠の灯」と書いてありました。
一本のクスノキから彫り出されています。
3m10cm(台座から光背の頂まで)のほっそりとしたお像が何の柵もなく間近に!!!

ホントにしなやかで美しい~!初めて拝観する後ろ姿の優雅なこと!!!
おだやかな微笑みは、口角が少し上がった、飛鳥時代の特徴のアルカイックスマイル!
東洋のビーナスとたたえられていますね。



菩薩はインドの王子時代をモデルにしています。
ゆえにその飾りは華やかでなければなりません。
★銅製王冠 宝冠の真ん中の阿弥陀如来は化仏でそれが観音菩薩の証しです。

★それを止める銅製のリボン、綺麗な曲線の透かし彫り
★銅製胸飾り
★腕釧(わんせん)腕飾り
これらの飾りは日本で培われた当時最高水準の技術です。
★頭部の光背(こうはい)は宝珠の形
★光背を支える支柱は竹製で、そこに彫られているのは想像上の山・須弥山(しゅみせん)

この山を物差しとして見ると百済観音は、山よりはるかに大きい。
経典にはよれば「観音菩薩は宇宙の果てより大きい」とか。
★二本の指でつまんでいる水瓶は体側に釘で固定されているのを間近に見ることが出来ました。

日本古代彫刻の最高傑作です。
人々の苦しみを取り除いてくれる観音菩薩として信仰を集めて来ました。
初めて仏教が伝わった飛鳥時代、この神々しい仏を見て、その当時の人々の心持ちはいかばかりだったでしょう。
先人たちが込めたメッセージを私たちは受け止めなければならなりませんね。
★奈良博《刺繍釈迦如来説法図》中国・唐時代または飛鳥時代(7世紀)
「糸のみほとけ」です。縦2m10cm、横1m60cm、大きい~!

釈迦が弟子や菩薩の前で説法を行っている場面を刺繍糸で色鮮やかに表現しています。
豊満な体付き、顔の表情など仏の姿は肉感的です。

こうした刺繍は古代インドで生まれ、中央アジアから中国に伝わりました。
この作品は唐の工房で作られ、日本に伝えられたとも考えられています。
技法はわずか2種類、相良(さがら)縫い(左)と鎖縫い(右)です。



この菩薩は中央左側の端っこの人です。
★奈良・中宮寺《菩薩半跏像(伝如意輪観音)》飛鳥時代(7世紀)
増高87.9cmのほっそりしたお像ですが、それはそれは美しい微笑みの仏像です。


初めて後姿を拝見しました。後ろの脇線の柔らかさが美しい!
かつては全身に色彩が施されていましたが、今は顔料が剥落し、下地の黒漆が表れています。
そのお姿は全身真っ黒で美しく黒光りしています。
★頭 双髪という髪型でお団子二つに結っています。
★口元 アルカイックスマイル、日本三大微笑み像の一つです。
★目 伏し目で杏仁型(アーモンドのような)
全体にお優しく美しいお姿です。
右手の指を頬に近付けて「人の悩みに思いを巡らす」という半跏の姿勢です。

★京都・宝菩提院願徳寺《菩薩半跏像》平安時代(8世紀)
この仏像は、一木造、素木仕上げであること、細かな彫り、木材に赤紫の染料が掛かっていることなどから中国・唐の檀像を模したと思われる。(キャプションから)

素木とは思ってもいなかったので私にとっては大発見でした。
また半跏像は通常では右足を膝の上、左足を踏み下げるのに、このお像は右足を踏み下げている。このことから三尊像の内の右脇侍だった可能性が考えられるとのことです。

★目 黒い石をはめこんでいる。珍しい二重まぶたで切れ長の目は異国的。

★衣の襞 細かく深く彫り込まれていて、にぎやかに翻っている。

私は初めてこのお像の後姿を拝見しました。いっさい手抜きがなく破綻のない彫リ技で素晴しいと思いました。

★奈良・興福寺《天灯鬼立像 龍灯鬼立像》鎌倉時代(13世紀)


私の大好きなお二人!興福寺宝物館に行くたびに御挨拶!!!
この愛くるしい邪鬼さん!落ち込んだ気分も上がります。
今回初めて後姿を拝ませていただきました。
筋骨隆々のお姿ですから後ろ姿もやっぱり隆々!お尻の筋肉がキュっと盛り上がっているのがお見事

興福寺西金堂の仏前を照らすのがお役目。頑張っている姿は「仏様に仕える俺様、かっこいい!」と思っている?・・・(爆)
★天灯鬼 赤い体を傾けて片手で灯籠を持っています。今にも叫び出しそう~!

★龍灯鬼 青い体で頭に灯籠を乗せている。体に巻いているのは龍。

★瞳 水晶
★牙 水晶
★眉毛 銅で造られたギザギザの眉毛
★筋肉 隆起した部分に木材を継ぎ足しているそう。
大阪「日本国宝展」より
カヤノキの一木造
獅子窟寺は山道40分くらい歩くところにあり、タクシーも見つからず諦めたことがあるお寺です。待ちに待った公開、やっとお会いすることが出来ました。

★顔 やや面長でふっくらとしている。
★瞳・唇 彩色を施し胸前に朱で卍字を描くほかは素地のままです。
★目鼻立ち 切れ長で大きい。
★眉 深い条線で刻まれている。
★肩 なで肩
★膝 厚みがあり、広く組んで安定している。
★衣文 流動的な弧線は素晴らしい刀技
厚みがありどっしりした感じは9世紀末~の典型的なお像と考えられています。
★東京・皇居三の丸尚蔵館《唐獅子図屏風》6曲1双 右隻・狩野永徳筆 桃山時代(16世紀)左隻・狩野常信筆 江戸時代(17世紀)
右隻の公開は度々ありましたが、今回初めて左隻を拝見しました。

江戸時代の常信は永徳の曽孫に当たります。永徳の唐獅子をお手本に描いたとのことですのでよく似ています。
長年左隻を見たかったのでほんとに嬉しかったです。

★金雲にたなびく山間を親子の唐獅子が悠然と闊歩する姿に圧倒されました。
豪放な力強い絵です。
京都「日本、美のるつぼ」展より
★京都・西往寺《宝誌和尚立像》重要文化財 平安時代(11世紀)
「美のるつぼ展」は国宝のほかに重文なども出展されていました。

たて真二つに割られた顔の中から現れたのはなんと仏の顔。

この不思議なお像は、十一面観音菩薩の化身とされた中国・南北朝時代の僧侶・宝誌和尚の逸話から造られたそうです。
★鉈彫り 全身にびっしりと残るのみの彫り跡は「鉈彫り」と呼ばれています。

★日本で1体しか現存しないお像です。
疫病を封じる力を持つとされた十一面観音に救いを求める平安の人々の切なる願いが伝わってきますね。
ほんの一部をアップしました。そのほかにも運慶作《大日如来坐像》も360度拝見出来ます。

俵屋宗達筆《風神雷神図屏風》、《七支刀》は十重二十重の人だかりでした。
ではまた 今日はこの辺で・・・失礼いたします。
2025年4月 日本一豪華な嫁入り道具「国宝 初音の調度」を見て来ました~(^^♪
今、徳川美術館で開館90周年記念、特別展公開中です!(6月8日まで)
名古屋といえば、金のシャチホコで有名な名古屋城を思い浮かべますか~?
徳川美術館の現存最古の国宝《源氏物語絵巻》(平安時代)でしょうか~?!
それとも国宝の名刀「正宗」でしょうか~?
実は徳川美術館は不朽の名品、豪華な大名婚礼調度品・国宝「初音の調度」を所持しています。日本工芸史、文化史上最高峰と言われています。
常設展ではほんの少しずつ展示されていますが、今回そのすべて70件が10年ぶりに一挙公開されました。

★国宝「初音の調度」は正式名称を「婚礼調度類(尾張徳川家・二代徳川光友夫人千代姫所用)」といい、「初音蒔絵調度」47件、「胡蝶蒔絵調度」10件、その他13件によって構成されています。
三代将軍・徳川家光の長女・千代姫が尾張徳川家に嫁ぐときの婚礼調度品で、将軍家が威信をかけ制作した日本一豪華な嫁入り道具です。
★同時に、企画展「千代姫の華麗なる生涯」が、蓬左文庫で公開されています。
将軍家の橋渡し役となり、尾張徳川家の繁栄の基礎を築いた千代姫の生涯です。
寛永14年(1637)、長年子宝に恵まれなかった家光43歳の時に待望の子、千代姫が誕生しました。
「次期将軍の確保」という大きな使命を背負って生まれた姫君・千代姫のために、将軍家の権力と財力をかけ、贅を尽くした婚礼調度品が制作されました。
千代姫はわずか2歳6ヶ月で尾張徳川家の二代光友のもとへと嫁ぎましたが、その後に誕生した弟の家綱と綱吉が将軍となったため、夫の光友が将軍になることはありませんでした。
しかし千代姫は二代にわたる将軍の姉として権勢をふるい、将軍家と尾張家の架け橋となることで尾張家を支え続けたのです。その生涯は4人の子に恵まれ、「姫君様」の呼び名の通り、華麗かつ誇り高きものでした。元禄11年(1699)、61歳で亡くなりました。(ホームページから要約)
★日本一豪華な千代姫の嫁入り道具
婚礼調度は三つの棚で構成されています。
- 黒棚 化粧道具を収める棚


- 厨子棚 手箱や香道具を収める棚


- 書棚 書籍や巻物を収める棚




★婚礼道具の中で最も格の高い調度「貝桶」美しい絵が描かれた60枚の合わせ貝が収められるのがしきたりでした。婚礼を象徴する大切な道具です。(側面)
お歯黒を付けるのに使う。千代姫は13さいで「鉄漿(かね)初め」の儀式。







ほんの一部ですがお姫様のお道具をアップしてみました。
黄金に輝く調度品は、ひがな一日眺めていても飽きない美しさから「日暮しの調度」とも呼ばれました。
★絢爛たる平安絵巻『源氏物語』23帖「初音」(源氏36歳)
これらの調度品1点1点には『源氏物語』の「初音の帖」をモチーフとした意匠が大小様々に施されています。
「初音の帖」
正月、新年を迎えて、六条院の春の御殿は、この上もなく華やぎます。紫の上と暮らす明石の姫君の部屋には、8歳を迎えた明石の姫さまに、実母の明石の君から、ウグイスをとまらせた美しい五葉の松の作り物と、お便りが届きました。
「年月を松にひかれてふる人に 今日うぐいすの初音聞かせよ」
歌の意味は「あなたを思い年を重ねる私のために、新年の今日、うぐいすの初音-初便りをお聞かせておくれ」
家光がこの歌を選んだのは、幼い子を手離さなければならなかった明石の君の心情と同じだったのではないでしょうか。「初音の帖」で描かれる母が子を思う気持ちが、幼い娘を嫁がせる家光の心情を表しているようです。



箱蓋

側面




★超絶技巧
「初音の調度」には様々な漆工芸の技法が使われています。製作のために集められた職人たちが、当時一流の技術者ばかりであったことを窺い知ることができます。
「初音蒔絵文台・硯箱」から

硯箱(部分)

梨子地/金粉を透漆で塗りこむ。家格の高い家のみ使用を許された
高蒔絵/漆や地の粉などを高く盛り上げ立体感を表現する
平蒔絵/漆で模様を描いた上に金粉を蒔く、蒔絵の基本となる技法のひとつ

研出蒔絵/漆の上に金粉を蒔き、それを磨き出して模様を浮き上がらせる
彫金埋込/文字を彫金で制作し蒔絵に埋め込む。漆工芸と金属工芸の両方の技術が必要
付描/粘度の高い漆で細い線を描いた上に金粉を蒔くことで、繊細な表現が可能
切金/薄い板金を正方形や長方形に切り、ひとつづつ貼り付ける技法
珊瑚貼付/珊瑚の彫刻を貼り付けた表現。全体をより豪華に演出する
徳川美術館は、江戸時代の大名文化を体感できる美術館となっています。
最近、常設展ではほぼすべての作品の撮影がフリーになりました。
名古屋にお越しの際には是非お立ち寄りください。(徳川美術館の回し者?あっこより)
2025年4月18日読書 丸山貴史著『も~っと わけあって絶滅しました。』(前回の続編)
このシリーズは全3巻です。
第2巻の内容は『続 わけあって絶滅しました』。こちらは第1巻と同じような生き物の自然絶滅が描かれています。後半は人間が絶滅させた生き物たちです。
第3巻は『も~っとわけあって絶滅しました』です。
今回は第3巻の内容をほんの少しお話したいと思います。
地球の歴史は絶滅の歴史。
環境が変化するたびに、それまで栄えていた生きものが滅び、また新しい生き物が進化して栄える。
絶滅と進化を繰り返し、地球は多種多様な生き物が暮らす豊かな星になったのですね。
「絶滅危惧」と「根絶」の違いを整理してみました。
★わけあって絶滅しそう~(絶滅危惧種)
★ラッコさん
生きづらすぎて絶滅しそう~

30万頭もいたのに毛皮目当てに狩りに狩られて、一時は絶滅危惧種ときたもんだ。
1989年、タンカーから重油がもれて6千頭の仲間がおっちんだ。
慌てた人間さん、保護にのり出した。
★ホッキョクグマさん
え~!ここまで氷とける?氷溶けまくりで、アザラシゲットできねぇわ。
氷が少なくなって絶滅しそう~

氷はぶあつくねえと獲物のアザラシを待ち伏せしにくい・・・
地球温暖化が原因?
★コアラさん
火事で絶滅しそう~

オーストラリアの森林で大規模火災発生。およそ5か月間燃え続けた。
森に棲んでいたコアラ8千頭が死亡。
★カリフォルニアコンドルさん
死体の発見が早すぎて絶滅しそう~

必死に走ってくるオオカミちゃん、コヨーテちゃん、ごめんなさいね。いつもお先に肉をいただいちゃって・・・だって私の鼻は10キロ先の死体の匂いもわかるの。
人間が仕組んだ毒入り餌を食べたたり、それを食べた生き物の肉を食べて、多くの仲間が死んでるの。
★ヒトコブラクダさん

砂漠に強すぎて絶滅しそう~
すみませ~ん、もう野生では、絶滅しちゃったんですよ~
今は家畜!
水も飲まずに100kgの荷物を背負い、一日30kmは歩けます。
さらにエネルギーになる脂肪がコブの中にたっぷり。
あとバサバサのまつ毛、ぴったり閉じる鼻の穴など、
便利過ぎて狩り尽されちゃった・・・絶滅しそう~
根絶
★わけあって根絶されました。

「どうしても共存できない」と思った生きものをこの地球上からいなくなるまで駆除することを「根絶」といいます。根絶はほとんどの人が「根絶しかない」と思える場合にしか行われないので絶滅にはつながらないのが普通です。
人間が「いなくなってほしい」と願う生きものをご紹介します。(ほんの一例ですが)
★ヒアリさん
毒針で刺すので根絶

★ミヤイリガイさん
とばっちりで根絶

ミヤイリガイの体を借りて成長する寄生虫を根絶。故に真犯人は私ではなく「寄生虫」だ!
★天然痘さん
人を殺すので根絶

★ウリミバエさん
農業を脅かすので根絶

★絶滅した・・・と思ったら生きていた~~~!
★ネグロスケナシフルーツコウモリさん
うんこ取られて~絶滅した・・・と思ったら生きていた

「ねえちゃん!また人間が洞窟に来たよ~!食べられちゃうよ~!」
「しっ!あいつらが欲しいのはうんこよ!畑の肥料に!」
私たちの仲間が1964年に姿を消した。
2001年に生き残りが発見された。
★わけあって繁栄しました
★カラスさん
好奇心が強くて繁栄

鳥類の進化の頂点に立ち、シティライフを謳歌するカラス。
仕事ができる烏は遊びにも手を抜かない~
出来る鳥は何が違うか思考法を聞いてみた
「そもそも自分の力で何とかしようとするのが間違い」
「狩って食べるという固定観念を捨て、人間のゴミをあされ」
★アメリカザリガニさん
はさみを上手に使って繁栄

さあ!寄ってらっしゃい見てらっしゃい!
このはさみ、そんじょそこらのもんとは、わけが違う!
水草を切り倒し、隠れていたオタマジャクシをパクリ!食い物にゃ困らねぇ
池の底に穴を掘り、冬ごもりしたり、子育てしたり!お茶の子さいさいよ!
ぬくい穴の中なら平気の平左ときたもんだ!
読後感
子供向けの専門書でした。難しい専門語を易しい言葉で、ユーモアたっぷり!に書かれています。
絶滅しそうな生き物を、いつか人間の英知で守り抜くことが出来るのでしょうね。
未来が楽しみです。
2025年3月読書 丸山貴史著『わけあって絶滅しました』ダイヤモンド社 2018年
図書館に行った時、たまたま通りかかった児童図書が目に留まりました。
「絶滅」という言葉に驚いて手に取ってみると、知らないことばかりが書かれています。
地球上の生物の99.9%が絶滅しているとか・・・
絶滅したからこそ新しい生物が生まれることが出来たそうです。
理科系が苦手な私でも動物たちの愉快な本音を聞くことが出来る内容でしたのでご紹介したくなりました。
ほんの一部ですが抜粋、要約をご覧あれ!
絶滅した理由をどうぞ~~~!

油断して絶滅
★オガサワラマシコさん「ヤギが大食いで絶滅」

「みなさま ごきげんよう。オガサワラマシコでございます。
わたくしは江戸時代末期に絶滅するまで小笠原諸島で暮らしておりました。
地面に落ちた木の実を拾って食べておりましたの。
実はわたくしは鳥なのに飛ぶのは好きじゃないんです。
1830年ころからいろんな国の方が島に移り住んできたんですが、連れてきたヤギが地上の植物をぜ~んぶ食べてしまって・・・
おかげでわたくしは土とにらめっこするしかなくなってしまいましたのよ」
やりすぎて絶滅
★ブルーバックさん「美しすぎて絶滅」

「あ、苦しい。この胸の苦しみはいつ晴れるのでしょう。
むかし、南アフリカの草原に暮らしていました。
ところが3万5000年くらい前から木が生え始め住むところが減っていったのです。
そこへ金やダイヤモンド掘りの人間がやってきて狩りを始めたのです。
きっとこの青っぽい毛皮が珍しかったのでしょう。コートや剥製にされて・・・
そして200年前に最後の1頭が息絶え、わたくしたちはこの世から姿を消したのです」
不器用で絶滅
★ネアンデルタール人さん「想像力が足りなくて絶滅」

「YO,YO ブラザー。おまえらに奪われた人類の王座
忘れもしねえ5万年前、おれとおまえ遭遇、So Goodな関係などナッシング。
マッチョなおれとマッチみたいなおまえ どっちが強いか一目瞭然
当然おれが勝つと思っていたら逆転
集団で襲ってくるとかマジかんべん
協力して生活するなんて考えもしなかった。イエ~~~」
不運にも絶滅
★ティラノサウルスさん「隕石が落ちて絶滅」

「ありえねえ、隕石が落ちてくるとか
マジでありえねえ 直径10kmて(笑)
地球にぶつかった時、高さ300mの津波がきたからね
さすがにビビったわ、あれは、地球溶けた~?と思ったもん
でも問題はその後よ
隕石がぶつかったせいで、半端じゃない量の砂が空に舞い上がって地球をすっぽりとおおちまったんだ
そのせいで地球はものすごく寒くなり、植物が育たなくなって、草食恐竜どもが死んでいった。肉食恐竜の俺様はしばらくはその死体を食っていたんだけど結局死体もなくなって、腹は減るわ、超寒いわで絶滅・・・」
★オオウミガラスさん「島が沈没して絶滅」
「わたし、鳥なのに空を飛べないんです

もともとわたしは暖かい場所に住んでいましたが、人間に狩られて北へ北へと・・・
そして最後にたどり着いたのはアイスランド島の近くの島
不運なことに近くの海底火山が突然噴火
そのせいで地震が起こり、わたしたちの住む島は海に沈んでしまったのでした」
絶滅しそうでしていない
★オウムガイさん「やる気がなくて助かった」

「あ~だるい、泳ぐの面倒くさい、泳ぐの向いてない
だって、おれ、秒速5cmしか進めないし・・・
いや~食事するのもめんどくさい・・・・中略・・・・・死んだ魚を週1ぺースで食べれば生きていける
それで深めの海でひっそり暮らしていたら、いきなり隕石が落ちて来て、恐竜とかみんな死んじゃった。浅い海に住んでいたやつらはほぼ全滅
まあ、おれにはどーせ関係ないし・・・」
こんな調子で生物たちがぼやいています。 詳しいデーターもしっかり出ています。よろしければ読んでみてください。
2025年3月「パウル・クレー展」創造をめぐる星座 愛知県美術館に行ってきました~(^^♪
パウル・クレー(1879-1940)略歴
1879年、音楽一家の子としてスイス・ベルンの近郊で生まれた。
1912年、画家になるべくドイツ・ミュンヘンに移り、33歳の時、カンディンスキーら青騎士の展覧会に参加。
1914年チュニジアを旅行し、日記に「色彩が私を捉えたのだ」と記す。
第一次世界大戦における友人の死と従軍を経て
1933年ナチ政権の迫害を受けてベルンに移住。以後アメリカでの評価を確立。
1940年没。
苦手な現代美術の展覧会で気になった作品、よくわからない作品などピックアップしてみました。
絵の解説はすべてキャプションからの引用や要約です。
★作品NO42《破壊された村》1920年
終戦後(1915年)第1次世界戦争に再び目を向けその惨禍を描きました。
十字架を頂く教会堂を中心に暗い窓の並ぶ傾いた建物が林立している。
村には誰もおらず、灯火の消えた蝋燭が人々の営みの終わりを象徴している。
空には不気味な太陽が昇っているが、村を明るく照らし出すことはない。
クレーは戦争における破壊を抽象化、神話化もすることなしに具体的に描いて見せた。

★作品NO74《窓のあるコンポジション》1919年
最初に骨格となる線・垂直線、水平線を引き
すると線と線が交差するところに面が出来る。
その面に色を塗り、開かれた窓、木々、花などを白い線で描く。

★作品NO94《蛾の踊り》1923年
暗から明への段階的な移行が、垂直、水平に重ねあわされ、白く塗り残された二つの上下の中心には、光のエネルギーが集まっている。
そこに天を仰ぎ見ながら昇っていこうとする女性に擬人化された蛾の姿を重ねている。
色彩の段階的な移行が構成する十字架は間もなく訪れる死を暗示している。
この絵は、詩『太陽に向かう蛾》から着想を得たのかもしれない。
「ただ、あなたの栄光に近づくために。
そうして、恍惚の中、ひとめ見ることが出来たのなら、
わたしは満足して死ぬことができる。」

★作品NO105《殉教者の頭部》1933年
ナチズムからの攻撃が激しくなり、故郷のベルンへの亡命を余儀なくされた。
このころ肖像画を多く描いた。それらの肖像画はしばしばナチズムに苦しめられた人々やクレー自身の姿を連想させた。
ゴツゴツと荒れた肌と、ほとんど抜け落ちてしまった歯は、「殉教者」に与えられた試練の大きさを物語っている。

★作品NO 110《恐怖の発作Ⅲ》1939年
身体をバラバラに分割され、目と口を大きく開いて叫ぶ人物が、暗い背景から浮かび上がってくる。
1935年夏、自己免疫疾患の症状が現れたクレー。身体的苦痛や死に対する恐怖ともいえる表現が見られるようになる。
まるで記号化された身体を自由に組み替えながら構成していっているようだ。

★作品NO116《子供と叔母》1937年
晩年のクレーの作品には、かつてゲルマン民族の諸語に使われていたルーマン文字の線が頻繁に出てくる。その文字のような線が連なって面を構成し、手をつないで歩く子供と叔母を形作っている。
色彩は多様で下地となる石膏の白を橋渡しとしながら、連続的な移行と、飛躍的な移行を繰り返しながら、背景と人物たちを一体化させつつ分離している。
