「一遍聖絵と時宗の名宝」展 京都国立博物館4月13日~6月9日まで
この展覧会では時宗を開いた宗祖・一遍(いっぺん)(1239~89)の生涯を描いた国宝《一遍聖絵(いっぺんひじりえ)》と歴代祖師の肖像画や肖像彫刻など、時宗の名宝の全貌を紹介していますが、その中で特に気になった作品のお話をしたいと思います。
★円伊筆 国宝《 一遍聖絵》 鎌倉時代(1299年)神奈川・清浄光寺(遊行寺)蔵
この絵巻の特徴の一つは和紙ではなく、絹地に描かれていること。「春日権現験記絵」よりも10年早く、日本最古の絹本著色絵巻です。
絵の具も鮮やかに残っていて720年も前のものとは思えないほどです。
一遍上人の弟子の聖戒(しょうかい)による詞書(ことばがき)の部分も赤,黄、緑色などに塗り分けられている料紙を初めて見ました。
各巻の幅はたて約39cm、よこ全12巻合わせて130mに及ぶ豪華な絵巻がすべて公開です。
この作品からは、中世の人々の息吹やさまざまな階層の生活を垣間見ることができました。
巻2 伊予国岩屋の場面
一遍35歳の時、奇石がそびえる伊予国で修行。
一遍が訪れた菅生の岩屋寺は観音が現れ、仙人が修行したという霊地です。
一番高い山にはしごをかけて登る僧侶が2人見えます。上のほうを登る人が一遍ではないかと言われています。
山の表現には、墨の濃淡により陰影をつける当時としては新しい漢画(中国絵画)、宋、元時代の技法が用いられています。
巻4 市場の事件
買い物客でにぎわう備前国福岡の市(岡山県瀬戸内市長船町福岡)で自分の妻を出家させた一遍に切りかかろうとする男。
市場では魚をさばいて売る人、コメをマスで量る人、女性が反物を選んでいるところなどで賑わっています。
巻6 熊野にて開宗の場面
熊野で熊野権現より神託を受けます。
参詣した熊野で、一遍は僧侶にお札を渡そうとしますが、「信心が起きない」と拒まれます。その後、熊野権現より「信と不信を区別せずお札を配りなさい」という神託を受けます。
物乞いをする人や身分の低い人、ハンセン病を患う人など、当時穢れた存在とみなされていた人々など60万人に「南無阿弥陀仏」と書いたお札を配り、救いの手を差し伸べました。
お札を配る一遍上人
物乞い ハンセン病の人
巻7 市屋道場での踊り念仏の場面
時宗の代名詞で、盆踊りの元祖ともいわれる踊り念仏は、信州小田切の里で始められたといいます。
小田切の里
京都中心部の道場で踊り念仏を行う一遍の様子が描かれていて、ここが時宗の教えを広げる拠点になりました。
一遍が先達と慕った空也ゆかりの地である京都・市屋道場での踊り念仏の場面。
屋台の中央で踊るのが一遍。牛車に乗った貴族や様々な身分の人びとが見物に押し寄せ、ごったがえしています。やぐらの中央で鉦をたたいて踊る一遍上人。やぐらによじ登る子どもも見えますね。京の街での一遍の人気がうかがえる、聖絵(ひじりえ)を代表する名場面です。
巻12 一遍上人臨終の場面
一遍臨終の場面。一遍は兵庫観音堂(現在の時宗真光寺)で臨終を迎えます。中央に横たわる一遍の元へ、僧侶や信者が集まり、幾重にも取り囲んでいます。衣で涙をぬぐう僧侶や必死に手を合わせる女性、群衆の表情がみごとに描き分けられています。
私のもう一つの見どころは、展覧会に先立つ調査で発見された
★行快(ぎょうかい)作 阿弥陀三尊像 京都・聞名寺(もんみょうじ)蔵
本尊 阿弥陀如来立像 像高83cm
脇侍 観音菩薩立像 像高59cm
勢至菩薩立像 像高58.2cm
事前調査で、京都の時宗寺院、聞名寺の阿弥陀三尊像が快慶の一番弟子・行快作との墨書が見つかりました。行快の作品はこれまでに7例しか知られておらず、貴重な発見です。
お寺では普段見られない秘仏の
★毘沙門天立像 木造彩色 鎌倉時代(13世紀)像高158.5cm 京都・極楽寺蔵
恵比寿神座像(室町時代14~15世紀)、大黒天立像(近代・19世紀)と三尊形式になっていますが残念ながらお写真が手に入りませんでした。
なのでこの展覧会でしか見られなかった仏像です。
ところで時宗をご存知ですか?耳馴れない宗派ですよね。調べてみました。
それは鎌倉時代にできた「新仏教」の一つです。
鎌倉新仏教とは
浄土宗…開祖:法然
時宗…開祖:一遍(いっぺん)
時宗の総本山は神奈川県藤沢市にある清浄光寺(遊行寺)です。東海道随一と言われる木造本堂を始めとした伽藍は10棟が国の登録有形文化財です。箱根駅伝の遊行寺坂は有名ですね。
時宗の教えは「思想や信仰、貧富、身分、性差などにかかわらず、だれもが阿弥陀仏に救われることはすでに決まっている。阿弥陀仏から見ればみんな平等なのだから、我を張って、人と比べ、敵か味方かと色分けしても意味はない」と言っています。
一遍上人は、阿弥陀様の浄土へ行くことをひたすら願って、全国を遊行(ゆぎょう)して歩き、踊り念仏を行いました。一遍が同行者3人をともない生まれ故郷の伊予(愛媛)を旅だったのは、文永11年(1274)の2月8日のことでした。36歳で旅立ち、51歳で亡くなる迄、念仏を広める旅の人生を送りました。
「すべてを捨てて皆踊れ」
「南無阿弥陀仏」を唱えながら、輪になって鉦(かね)をたたいて熱狂的に踊るこの踊りは現在の盆踊りの元祖と言われています。
また一遍上人は、北は岩手、南は鹿児島まで遊行し、「南無阿弥陀仏」と書いたお札を60万人に配り、踊り念仏を行うと云う独特の布教で人々の信仰を集めました。
皆さんの町にも行ったかもしれませんね。