2023年10月「東福寺」展 京都国立博物館に行ってきました~~~(^^♪

新緑や紅葉の名所として知られる東福寺塔頭も多く何度も訪れたことがあります。

そのお寺の名前の由来をこの展覧会で初めて知りました。

それは奈良の大寺のように広大に、興寺のように栄えるようにと、東と福の一文字づつをとって東福寺と名付けられたそうです。ご存じでした~?!

 

東福寺」は、鎌倉時代に創建された京都を代表する禅寺の1つです。

聖一国師(しょういちこくし)と呼ばれる、大陸・中国(南宋)に留学した高僧・円爾(えんに)(1202~80)によって開かれました。

 

禅を学んだ円爾(えんに)は、日本でも中国でも大人物と認められ、皆に慕われた人だそうです。うどん、そば、まんじゅうなどを持ち帰ったとのことです。

 

この展覧会では応仁の乱による戦火を免れた貴重な文化財が出展されています。

例えば「伽藍づら」と言われる巨大なお寺にふさわしい、巨大仏像や長い間秘められてきた書画骨董と言った普段表に出たことがない寺宝です。


その中でも私が最も期待したのは、雪舟に並ぶ「画聖」とも崇められた


「絵仏師・吉山明兆(きっさん みんちょう)」(1352~1431)による大作

★「五百羅漢図」全幅50幅(復元模写も含む)と

★仏像群でした。

 

ほんの一部ですがご紹介したいと思います。

なお解説はすべて公式サイトから要約しました。

それぞれ一幅の大きさはおよそ170cm、横幅90cmです。

 

「五百羅漢図」とは

「羅漢(らかん)」はサンスクリット語で「お布施を受ける人、尊敬を集める人」の意味がもとになっていて、仏教で最高の修行を修めた聖者のこと。

500人もの釈迦の弟子たちを10人ずつ50幅の掛け軸に分けて描いた作品で、室町時代の絵師、吉山 明兆(きっさん みんちょう)の代表作です。

現存する最初にして最大級の作品がこの五百羅漢図シリーズです。

明兆はこれを自分で発願して、何年もかけて35歳の年(至徳3年、1386)に完成させました。

 

去年(2022年)300年ぶりに、14年かけて修復、完成。

全50幅が一挙公開されるのは初めてなのです。ただし4期に分けての公開で、私は第1期公開、(1号幅から12号幅、46号幅、50号幅(復元模写)、10月7日~22日まで)に行ってきました。

ただし、46、47、50号は明兆の原図をもとに後世に作成されたものです。

 

個性豊かでユーモアたっぷりの聖なる羅漢さん!眉毛が長かったり、頭の形が~おかしかったり?!

修行で得た不思議なパワー、神通力を発揮して、驚きの奇跡を起こす。

水墨の技と極彩色が見事に使い分けられ、弟子たちが修行する様子が色鮮やかに描かれています。着衣の文様など一人として同じものがありません。

リアルでビビッドな中国最先端の仏画とのことです。

墨の線の面白さ、色使いの鮮やかさ、スケールなどいろんな点で明兆の、そして室町時代仏画の記念碑といって良い作品だそうです。

 

★第1号幅【燃えない経典】羅漢さんの法力で、仏教の経典は火の中でも燃えずに光を放った。どうや!と自慢げな羅漢さんも。何故じゃ~道教経典は燃え尽きたのに~。

第1号

燃え盛る経典

燃えなかったので嬉しそうな羅漢さん!

道教経典が燃えているので道士はオロオロ~!

★第2号幅【黄金の塔、出現!】 羅漢さんたちが香を焚くと、地面の中から黄金の塔が現れた。中にはお釈迦さまが!

第2号

黄金の塔の中にはお釈迦さまが!

★第3号幅【顔を割いたら…】 和尚さまが顔を割くと、その下からは十一面観音。周りにはその姿を描き取ろうとする絵師たちも。

第3号

★第4号幅【足を踏み外した】 真夜中の道行き。うっかり足を踏み外したところ、その足を支えてくれたのは何と毘沙門天の子・那叱(なた)!

第4号

★第5号幅【羅漢さまご一行、ようこそ龍宮へ】 海の中では龍王の妻と娘が敷物を広げてお出迎え。

第5号

第5号の裏側

左:表 右:裏彩色の技法

★第6号幅【餓鬼たちとお団子?】 口から火をはく餓鬼たちに、三色団子のような食べ物を施す羅漢さん。お味はいかが?

第6号

★7号幅【空からお金が降ってきた】破れた衣をまとった貧しい人々が、空から降ってきたお金を我先にと拾う。どこからわき出たお金なの?

第7号

お金を拾う貧しい人たち

 

★第8号幅【地獄から救って】地獄には針山や炎。羅漢さんが水を垂らすと、地獄に蓮の花が開いた。

第8号

第8号(部分)羅漢さんが水を垂らすと・・・

第8号(部分)地獄の蓮の花が開いた~~~

★9号幅【手から上がる不思議な煙】香を焚くと、羅漢さんの手から5すじの不思議な煙が立ち上る。苦しみの世界から救ってくれる煙だ。

第9号

★第10号幅【戦で亡くなった幽霊たち】 羅漢さんたちが香や蝋燭などを用意している。戦争で亡くなった幽霊たちを供養する。

第10号

第10号(部分)後ろのほうにうっすらと幽霊が・・・


★11号幅【羅漢たちの勉強会】机の前で説法する羅漢さん。それを筆記したり議論したり。熱心な勉強会だ。

12号幅【きょうは滝見物】 滝の見物に来た羅漢の前に現れたのは水神(すいじん)。旗が格好いい!

12号

第12号(マンガから)

★46号幅 狩野元信筆【鬼たち塔を組み立てる】鬼たちを自由自在に使役するのも羅漢さんの神通力。羅漢さんの指示のもと塔を組み立てる。

★第50号幅 復元模写【龍の目の治療】 龍の目にゴミが入ってしまったようだ。取り除いてあげる羅漢さん。小瓶の目薬もさすの?

第50号(復元模写)

第50号(部分)目薬(右上の白いびん)は~?


羅漢さんの日常生活

(第20号幅)】【獣に乗ってお出かけ】 虎や獅子、鹿、そして象に乗って羅漢さんたちがお出かけ。その神通力には鬼も感服?!

第20号から(部分)

羅漢さんの乗り物 獅子

 

第20号から 駱駝に乗って

第34号【信仰の証拠に…】信仰の深さを示そうと、腕に焼香する人が現れた。「あまり無理をしないでね」と心配そう~~~。

 

 

第35号【蓮の花を飾ろう】 白と赤の蓮の花を摘んでいる。堂内では花瓶も置かれ、飾る準備は万端だ。

第35号から 【蓮の花を飾ろう】

第39号【さあ散髪だ】 髪をそってもらう羅漢さん。周りから見られないよう、そっと袈裟を広げて目隠しする気配りも。

第40号【入浴タイム】 太鼓の音は入浴の合図。みんなで浴室に向かう。風呂上がりの水分補給にお茶も用意されている。

第40号から【入浴タイム】合図は太鼓で!

第41号【阿弥陀さまの絵を拝もう】 阿弥陀さまが描かれた掛け軸を掛ける羅漢さんたち。香炉も用意され、これから儀式が始まる。

 

第42号【観音さまの絵も拝もう】 観音さまの描かれた掛け軸もある。水墨の白衣観音図だ。なにやらこの絵について語る羅漢さんも。

第43号【あーさっぱりした】 羅漢さんたちが耳掃除やひげそりなどをしている。気持ちよさげな表情が面白い。

耳掃除

髭剃り

明兆のその他の作品

室町時代東福寺で巨大な壁画や仏画を大量に描きました。

重要文化財白衣観音図」室町時代15世紀 縦3㍍26㌢、横2㍍81㌢

白衣観音図」

華厳経』に出てくる有名な場面。

左下の少年のような容姿なのは、善財童子(ぜんざいどうじ)

善財童子(ぜんざいどうじ)

童子文殊菩薩の説法に導かれて53の善知識を訪問し、菩薩行を体得したと『華厳経(けごんきょう)』に記されている。

龍は水を司る龍神

洞窟の中、打ち寄せる荒波をものともせず、座禅を組む白衣観音

力強く洞窟や波濤を表現した筆の勢い、岩や衣の自由自在で豊かな水墨の線が見事。

岩の線、波の線が極太で激しい。

荒波の中で坐禅をしている観音さまは、補陀落山(ふだらくせん)という南海にうかぶ聖地に現れると考えられている。

 

仏像

★「監斎使者」「掌簿判官」

ユニークなお顔のこのお像は東福寺の本堂に安置されています。 走っているポーズのほうが「監斎使者」、巻物と筆をもつお像が「掌簿判官」です。 掌簿判官の像内の墨書銘には「定祐」という仏師の名前と「嘉吉元年(1441)五月二日」の日付が記されています。

★四天王立像 鎌倉時代・13世紀

本堂の本尊・釈迦如来立像を守護する存在として、本尊前に安置されています。 本尊や迦葉・阿難立像同様、山内の塔頭・三聖寺から移されたものです。

写実的でとてもかっこいい。

造られた時期に差があって、多聞天鎌倉時代初期、他の像より一回り小さい。運慶の作風に近く、特に注目されている像

多聞天立像

増長天は中期、持国天広目天は中期から後期。

 

重要文化財 迦葉(かしょう)・阿難(あなん)立像 鎌倉時代(13世紀)

本尊・釈迦如来立像の脇侍として、本堂に安置されています。

 両像とも高さ2m近い大作で、中国・宋時代の美術から影響を受けてツメが長い。

釈迦より年長で教団を継承した迦葉(かしょう)は「頭陀第一(ずだだいいち)」と言われ、身なりを気にせずに仏道修行に励んだひと。お釈迦様から、「もう年なのだから、もっと軽い衣を着けて体を休めるように」と。

年老いて皮膚がたるみ血管が浮き出ている迫真の表現。

阿難はお釈迦様の教えを最もよく記憶したので「多聞第一(たもんだいいち)」と言われた。お釈迦様が亡くなるまで、25年間付き人をしていました。

阿難は親切で美男子だったから、とても女性にモテたとか。お釈迦様からあまり肌を露出しないように言われたので、迦葉に比べてちゃんと肌を隠しています。

阿難

重要文化財「ニ天王立像」鎌倉時代・13世紀

 

二天像は、阿形と吽形を一対にして、寺院の門や本尊の両脇で仏の世界を守る役割を担っている。この二天像の大きさは 3.4m。たくましい体に甲冑を着けて、腰をぐっとひねり、力強く邪鬼を踏みつけています。とても強そう!

高さ3mを超える巨像で、とくに衣の表現はダイナミック。

「伽藍面(がらんづら)」と称された東福寺の壮大なスケールが、巨大彫刻からも感じられます。

 

重要文化財 金剛力士立像(阿形)(吽形) 京都・万寿寺所蔵

右手の指でマルを作っているこのポーズは、意外と珍しく奈良・東大寺南大門の金剛力士立像、三重・府南寺(ふなんじ)の像も右手の指で丸を作っている。持物の金剛杵(こんごうしょ)の持ち方も共通している。金剛力士像は、通常は正面を向いて左側に阿形像、右側に吽形像を置くが、この像は逆。その点も東大寺南大門の像と共通している。それゆえ慶派仏師の制作かも。

 

東福寺には南北朝時代に作られた座高7.5mもある巨大な本尊 釈迦如来坐像があり、その仏手。

焼失した御本尊の左手

明治14年(1881)にご本尊のある仏殿含めて、中心部分が焼けたが、いくつかパーツが焼け残った。これはその左手。この手だけで2m以上もある。

親指と人差し指の間には縵網相(まんもうそう)。

光背化仏(こうはいけぶつ)がこの大きさ!

光背の化仏(こうはいけぶつ)