2024年2月東京国立博物館その2「本阿弥光悦の大宇宙」展 平成館1月16日~3月10日まで

スーパー文化人~~~~?

本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)(1558~1637年)は京都生まれ。

レオナルド・ダ・ヴィンチの生まれ変わり?と言われている芸術家です。

その凄さをこの展覧会でたっぷりと見て来ました。

 

本阿弥光悦坐像 伝本阿弥光甫作 江戸時代・17世紀

本阿弥家は刀剣の研ぎ、鑑定を行う一族。豊臣秀吉が設置した刀剣の鑑定をする部署で活躍しました。

光悦は幼いころから刀剣の価値を見定める審美眼を磨き、のちに徳川将軍家や大名たちにも一目置かれる存在でした。

ここで磨かれた審美眼は「書の達人」として、あるいは「国宝の光悦蒔絵(漆工芸)」や「国宝の陶芸」などなどに発揮されています。

その業績はまさにスーパー文化人~~~!

どの作品もアッと驚く着眼点!革新的ともいえる造形美!

ほんの一部ですがご紹介します。

光悦と言う名前に憶えがなくても、学校の教科書に掲載されている国宝の硯箱を覚えていらっしゃいますか~~~?

展覧会会場の一番初めに燦然と輝いて展示されていたのは~

★国宝《舟橋蒔絵硯箱》本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館

文房具なのにこの奇妙な形!なにゆえに膨らんでいるのでしょう~?

実はこれが光悦の「仕掛け」、深い意味が潜んでいます。

上蓋の黒い大きな鉛板は橋(太鼓橋?)を表しています。ふくらみはこの橋がアーチ型をイメージしていたからでしょう。

 

その橋の下の金地に船が3艘描かれています。

ふた全体には光悦流の銀色の文字が躍るように散らされています。これは光悦が親しんだ『後撰和歌集』の中の和歌

「東路の さのの舟橋 かけてのみ 思ひわたるを 知る人ぞなき」

(東国の佐野の舟橋を架け渡す――その「かけ」ではないが、思いをかけてずっと恋し続けていることを知ってくれる人がいないことよ)を題材にしたもの。

独特の表現やモチーフの背後には、とくに光悦が深くたしなんだ謡曲の文化があったことがうかがえます。(キャプションより)

★重文 花唐草文螺鈿経箱(はなからくさもん らでん きょうばこ)

本阿弥一門の菩提寺である京都・本法寺に、光悦は『法華経 幷 開結』(ほっけきょう ならびに かいけち)10巻1具とこの青貝の箱を寄進しています。漆工品では工房作ではなく、光悦自身の作と思われるのはこれただ一つの作例とのこと。

光悦が一門の菩提寺本法寺法華経と経箱をともに寄進したことから極めて篤い信仰心がうかがえます。

 

光悦の書の名品

重要文化財《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》本阿弥光悦筆/俵屋宗達下絵(部分)17世紀江戸時代(京都国立博物館蔵)

飛び渡る鶴の群れを金泥、銀泥で描いた料紙に、平安時代までの三十六歌仙の和歌を散らし書きした一巻

なんと~全巻一挙公開。全長は13メートル超!展示会場の天井にはこの作品の大判がひらひらと張られています。

重要文化財《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》 本阿弥光悦筆・俵屋宗達画 京都国立博物館 琳派 京(みやこ)を彩る (youtube.com)

復元した作品を見たことがあります。銀色と金色の輝きが巻き進むたびに輝いてそれはそれは美しかったです。

光悦は、書の世界では近衛信尹松花堂昭乗とともに寛永の三筆のひとりで「光悦流」の祖。

光悦の書は斬新な図案料紙を用いた和歌巻に代表される墨の濃淡、肥痩(ひそう)をきかせた筆線の抑揚と、下絵に呼応した巧みな散らし書きで知られます。

★《蓮下絵百人一首和歌巻断簡》本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 東京国立博物館

法華信徒にとって特別な意味を持つ蓮を描いた料紙に、光悦が小倉百人一首を書いた和歌巻の断簡。

深く透明感のある文字の墨色、鉛色の蓮華はとてもうまく調和していると思います。

下絵に呼応する巧みな散らし書きは光悦の深い信仰心の現れではないでしょうか?何故ならば蓮華は法華経のシンボルの花。それを題材にしているからです。

100首の和歌のうち60首分が関東大震災で焼失し、残る断簡(切断された一部)が各所に分蔵されています。

本阿弥光悦筆《松山花卉摺下絵新古今集和歌巻》江戸時代・17世紀

線の太細の抑揚が強いのが本阿弥光悦の書の特徴。紙全体に対するレイアウトの感覚も絶妙。

光悦茶碗

光悦は50代後半頃卒中に罹り手の震えに悩まされました。

震えが気にならない作陶を1615年(58歳)以降に本格化させ、茶碗制作を行いました。

★国宝《白楽茶碗 銘 不二山》(これは出展されていません。参考まで)

窯の中で偶然にも下半分が黒く焼け生まれた白と黒の色彩。この偶然の産物に光悦は雪を頂く富士山を見出した。

娘が嫁ぐとき、嫁ぎ先に渡しました。富士山は一つしかない、二つとない自分の娘と言う親心が込められているそうです。

 

重要文化財 《黒楽茶碗 銘 時雨) 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 愛知・名古屋市博物館蔵

今回展示の「村雲」「時雨」「雨雲」の3つは、どれも表面のもわもわした釉薬のようすを雨模様に見立てて名づけられたものです。

重要文化財《赤楽兎文香合》

蓋表に白土と黒の上絵具で草むらを駆ける兎の姿を表しています。箆(へら)でざくざくと大胆に削り、スピードをもって筆を走らせる様子が目に浮かぶようです。 江戸時代から近代にいたるまで、名だたる茶人・数寄者が愛蔵してきた「出色の出来」と評される香合です。(キャプションより) 

 

「光悦村」

1615年大阪夏の陣の後、徳川家康から京都北部の鷹峯の地を拝領し、本阿弥一族や町衆(豪商)、職人(唐織屋、筆師、紙師、塗物師、金工、蒔絵師、金箔屋など)を率いて移住、芸術村(光悦村)を築きました。

共に暮らす職人たちに指示を与えながら多彩な作品を作ったと考えられています。

刀剣で培われた人脈は光悦の後半生の芸術活動に影響を与えています。

★志津兼氏作の重要美術品《短刀 銘 兼氏 金象嵌 花見形》鎌倉〜南北朝時代、14世紀 

光悦の唯一の指料(さしりょう、自分が腰に差す刀)とされる短刀。

茎には本阿弥光徳の金象嵌銘があり、その銘字は光悦の筆になると伝わります。数少ない江(ごう)の作刀に、さらに光悦の書という希少価値が加えられた、唯一無二の存在です。(資料より)

★《刻鞘変り塗忍ぶ草蒔絵合口腰刀》(江戸時代、17世紀

鞘全体に忍ぶ草(写真添付)をあしらった拵(こしらえ、日本刀の外装)

拵(こしらえ:刀身をおさめる刀装)は鮮やかな朱漆塗りの鞘(さや)に金蒔絵で忍ぶ草を全体に表わした華麗なものです。花形見の金象嵌と忍ぶ草の金蒔絵、その言葉や意匠の意味を読み解くと、光悦の秘めた想いがみえてきます。

忍ぶ草はこんな植物です。

 

 

展覧会を見終わって~

ホントに天才芸術家!

書、陶芸、漆工芸、謡曲の本の出版、茶道、篤い信仰心などジャンルを超えたマルチアーティスト。

本阿弥光悦は残された資料が少なく謎に包まれたまま。

私にはまだまだ謎の芸術家でした。