2024年2月東京国立博物館その1 国宝・中尊寺金色堂建立900年記念 特別展「中尊寺金色堂」1月23日〜4月14日迄

2024年は、藤原清衡(きよひら)(1056〜1128)が天治元年(1124年・平安時代)に中尊寺金色堂を建立してから900年の節目の年に当たります。

 

金色堂には3つの須弥壇があり、そのうち初代・清衡が眠ると考えられている中央壇とその壇上に安置されている国宝の仏像11体が寺外で初公開されました。

 

清衡の『中尊寺建立供養願文』には

「長い年月の合戦で命を落とした人々の霊を敵、味方の区別なく弔う「怨親(おんしん)平等」という思想と、戦争を認めない非戦の願い」が書かれています。(作品NO1)これを真っ先に読んだとき900年前と同じ、戦争が多い今の世を思い、胸が苦しくなりました。

 

世界遺産「平泉の文化遺産」のシンボルである中尊寺金色堂は東北地方現存最古の建物です。建物全体が金色で、螺鈿蒔絵の装飾が施され、とても絢爛豪華です。

 

それではいつものように心に響いた作品をご紹介したいと思います。

金色堂

8Kならではの映像で金色堂へ”没入” 8KCG : ⒸNHK/東京国立博物館/文化財活用センター/中尊寺 

中尊寺の覆堂(金色堂または阿弥陀堂)と呼ばれるコンクリートの建物の中には、初代の藤原清衡から、基衡(2代)、秀衡(3代)、泰衡(4代)まで奥州藤原氏4代の遺体が安置されています。

写真の通り、螺鈿紫檀、貴石などで装飾された堂内は豪華絢爛そのもの。

金色堂 内部

 

金色堂の特筆すべきところは、須弥壇内部の下方に奥州藤原氏4代の遺体を安置したということ!まさにここは墓所でもあるのです。

会場には初代清衡が安置されていた金箔押の木棺や、遺体がつけていた装飾具なども展示されていました。

重要文化財《金箔押木棺》(12世紀)中尊寺金色院蔵

遺体が収められた金箔が貼られた木の棺。

重要文化財「金塊」重要文化財「金塊」平安時代中尊寺金色院蔵)

棺の副葬品の中には金塊もあり、その重さは32グラム。

 

今回、中央壇の壇上に安置されている阿弥陀三尊像(阿弥陀如来坐像、勢至菩薩立像、観音菩薩立像)(3体)と地蔵菩薩像(6体)、二天像(増長天立像、持国天立像)合わせて国宝仏像11体が展示されました。寺外で中央壇上のすべての仏像がそろって展示されるのは初めてのことです。

展示されている仏像はすべて国宝、12世紀、岩手・中尊寺金色院蔵です。

阿弥陀三尊像

阿弥陀如来坐像を中心に、前方左右に勢至菩薩立像と観音菩薩立像が並ぶ全身金色の三尊像です。

ふっくらとした頬、穏やかな丸顔は平安時代に一世を風靡した「仏師・定朝の様式」にそっくりです。造像には都の仏師が関与したのではないでしょうか?

 

★中尊 阿弥陀如来座像 像高62cm

後頭部の螺髪の刻み方や右肩にかかる衣が別材なのは当時としては新たな造形と技法だそうです。

 

★向かって左 勢至菩薩立像(部分)

★向かって右 観音菩薩立像(部分)

金色堂の創建時(1124年)に造られたと考えられることから当時の平泉の文化水準の高さがうかがえるとのこと。

★《地蔵菩薩立像》

向かって右側

く向かって左側

阿弥陀三尊の両脇に3体ずつ安置されている6体の地蔵菩薩立像です。 頬がやや引き締まっていることや腹帯を見せるなどから、阿弥陀三尊像よりもあとの時代(藤原2代・基衡)に造られたのでは?と考えられています。

 

二天像

★《持国天立像》

★《増長天立像》

大きく腰をひねって手を振り上げる躍動感にあふれた持国天増長天。 引きしまった締った顔と大きくひるがえる袖の表現が特徴。  

こうした激しい動きの表現は、もう少しあとの時代(運慶の頃)の様式に見られるもので、時代を先取りしたような感覚が奥州の仏像にみられるそうです。

 

かつて金色堂を荘厳していたまばゆいばかりの名品50点、そのうち国宝が41点です。

★国宝・金銅迦陵頻伽文華鬘華鬘(こんどう かりょうびんがもん けまん)

華鬘(けまん)は、堂内を飾るための用具で、花輪をかたどるきらびやかな工芸品のこと。

この華鬘(けまん)は極楽浄土に住むという、上半身が人間で下半身が鳥の空想上のいきもの・迦陵頻伽(かりょうびんが)と、極楽浄土に咲くという宝相華唐草を透かし彫りにした華麗な作りになっています。

 

★国宝・紺紙金銀字一切経中尊寺経)

紺紙に金字と銀字で一行ごとに交互に書写した一切経(様々な仏教典籍を集成したもの)で、初代清衡が発願したもの。「中尊寺経」とも呼ばれています。

料紙は京で調達したことが確実視され、見返し絵も当時の一流の絵師が担当したと考えられています。


★国宝・金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅 第七塔

 護国の経典を紺紙の染紙に書写した作品です。

 中央にそびえる金色に輝く九重の宝塔は近づいて見ると全部文字です!

 金泥で書いた『金光明最勝王経』の経文なのです。こうした経文の文字を使って宝塔を描き、『金光明最勝王経』をよりどころとするのはこの作品が唯一です。また日本で作られた宝塔曼荼羅としては現存最古のものです。

宝塔のまわりには金銀泥と顔料を使って釈迦説法図、釈迦説相図が描かれています。

 

★会場入口のスクリーンでは、原寸大(幅約7m×高さ約4m)の金色堂を超高精細の8KCGで再現した映像を上映、すべて接近し、拡大してくれます。

15年ほど前に拝観した時には、現地ではガラス越しにしか見られない金色堂の内部を見ることができました。

 

平泉の世界遺産金色堂をはじめ建築、絵画、書跡、工芸、仏像彫刻、考古、民族などの文化遺産が現在まで伝えられ、東日本の平安仏教美術の素晴らしさを垣間見ることが出来た展覧会でした。

平泉はまさにこの世の「極楽浄土」とも言える祈りの空間です。

都から遠く離れたこの地で栄華を極めた奥州藤原氏一族が眠る聖地なんですね。