「幕末土佐の天才絵師・絵金―恐ろしいほど美しいー」展 あべのハルカス美術館 2023年6月18日まで

高知県外での展覧会は、なんと半世紀ぶり。

ずっと待ち続けた「謎の絵師・絵金」にやっと出会えました。

うれしいことに指定フロアーは写真・動画撮影もOKです。

展示風景

 

「血みどろ絵」、「血赤」って耳にしたことありませんか~?

芝居の中の殺しの現場などをテーマに、画中に血液、血痕などを色鮮やかに描いた絵のことです。

また闇の中、蝋燭の灯りで浮かび上がらせるおどろおどろしい絵!

祭礼の夜を彩る強烈な赤「血赤」は邪気を払う魔除けの色として庶民に受け入れられたそうです。

けれども絵金は実際には血みどろ絵は少ししか描いていません。

芝居絵や物語絵が多かったです。

 

そんな絵を描いた絵師がいます。

まずはご覧あれ~~~!

絵金の芝居絵屏風より

★《伊達競阿国戯場 累》(だてくらべおくにたわむれのば るい)(部分)二曲一隻屏風 香南市赤岡町本町二区 高知県指定文化財 恐ろしいほど美しい!?

 

★《絵本太功記 杉の森とりで》香美市指定文化財

太閤ではありません。太功ともじっています。

 

 

★《浮世柄比翼稲妻》二曲一隻屏風 高知県指定文化財

 

★《花上野誉石碑 志度寺》(はなのうえののほまれのいしぶみ しどうじ)二曲一隻屏風 香南市赤岡町本町一区 高知県指定文化財 

 

同時代のどの絵師とも違う絵金の屏風絵は、現在も夏祭りの数日間、高知各所の神社等で飾られています。(リーフレットより)

闇の中に蝋燭の灯りで浮かび上がるおどろおどろしい芝居の場面は、見物人をギョっとさせることでしょう。

展覧会会場ではとても丁寧に灯を点滅させ、昼と夜の場面の変化を見せてくださっています。ほんと、興味津々でした。

★向かって右《蝶花形名歌島台 小坂部館》(ちょうはながためいかのしまだい おさかべやかた) 左《敵討優曇華亀山》(かたきうちうきぎのかめやま)    

二曲一隻屏風 芳原下西組 高知市指定文化財

ライトが当たっている方(下)が夜の見え方です。

 

ところで「絵金」(1812~1876)ってどんな人~?

土佐の高知のはりやま橋近くで生まれた謎の絵師。

金蔵こと絵金は、幕末から明治初期に大活躍した絵師です。

金蔵は弱冠20歳で土佐藩家老・桐間家の御用絵師になるほどの天才!

33歳の頃、古物商の依頼で、狩野探幽の模写。ところがその絵に探幽の落款印章を施され売りに出されてしまった。(藩の記録には残っておらず真相は謎)

偽絵を描いたとがで御用絵師解任、城下を追放された。

赤岡(現在の香南市)の叔母を頼って移住。

町絵師となる。

町の旦那衆の求めに応じ「芝居屏風」などたくさんの作品を残しました。

 

絵金が描いたのは祭礼の絵ばかりではありません。

★《土佐震災図絵》画帖 墨画淡彩 佐川町教育委員会

嘉永7年(1854)南海大地震の体験。

 

★《土佐年中風俗絵巻》巻子 個人蔵(高知県立美術館寄託)

 

絵金は基本的にはサインを入れていません。が、こっそり「隠し落款」を入れています。骨董品屋の幟に絵金の画号「友竹」の隠し落款が!

 

 

ユーモアたっぷり絵金の作品

★《花衣いろは縁起 鷲》二曲一隻屏風 香南市赤岡町本町二区 高知県指定文化財

子どもが鷲にさらわれる一大事のさなか、その後ろにあんぐりと口を開けて見上げる農村の人々。抱かれる子どもが「逆さま」じゃー!(左下)

 

★《船弁慶》二曲一隻屏風 高知市朝倉 倉・前田町内会

源義経が平家討伐を果たすが、兄・頼朝に追われて西国に落ち延びる場面。

白抜きの人物は平家一族の亡霊。手前は平知盛の亡霊。

あまりの揺れに船酔いをする船頭が描かれているのは絵金らしいおふざけ?(向かって左) 

 

そのほかにも絵馬提灯、幟、掛け軸など大活躍で、弟子もたくさん育てたそうです。

高知では「エキンさん」は絵師を意味する一般名詞になるほどですって。(リーフレットより)

名古屋市・鶴舞公園のバラ園に行ってきました~(^^♪


こちらに引っ越してきて、早いものでもう5年目を迎えます。

公園にはたびたびお邪魔しますが、バラ園をお訪ねするのは初めて。

今年は、少し早めの開花を迎えたようです。

真夏日のような快晴の日、散策を楽しんできました。

バラの数は約1400本、色とりどり、そしてバラの名前もそれぞれ優雅です。

紫陽花の小道が1キロほど続きます。

 

 

この公園は名古屋市明治42年に設置した最初の公園だそう。

近代フランス式の洋風庭園と廻遊式の日本庭園とを合わせもつ和洋折衷の大公園です。

平成21(2009)年には公園のほぼ全域が、登録記念物(名勝地関係)に登録されました。

 

嬉しいことにこの公園には大きな図書館もあり、読書好きな私は、時々利用しています。

気持ちの良いお天気の日は、公園のベンチで風に吹かれて過ごします。

また時にはお花で彩られた「紫陽花の小道」をスケッチしたりして・・・

2023年4月 親鸞聖人生誕850年 特別展「親鸞 生涯と名宝」展に行ってきました~(^^♪

鎌倉時代浄土真宗を開いた親鸞聖人(1173―1262)は、2023年に生誕850年の節目を迎えます。

浄土真宗(東西両本願寺)の信者数が、文化庁のまとめによると1500万人を超え、日本で最多であるとのこと。

その親鸞の生涯を紹介する展覧会が京都国立博物館で開かれています。(5月21日まで)

少し前小説・五木寛之著『親鸞』を読んでいましたので興味深くて、行って見たくなりました。

 

この展覧会には、親鸞ゆかりの名宝約170件のうち国宝11件、重要文化財約70件が展示されています。展示品は文書が多く、残念ながら少ししか読めないので、自分なりに理解出来そうなことをまとめてみました。

 

親鸞の生涯(要約)

親鸞は京都で生まれ、9歳で出家して比叡山で修行。

29歳で山を下り、法然上人の弟子となる。

35歳の時、法然教団は弾圧を受け、親鸞も越後(新潟県上越市)に流罪になるなど苦難の時期を経て、関東で長く布教に励む。

やがて60歳ころ京都に戻り、晩年まで主著『教行信証』や「和讃」、門弟たちへの手紙類など、多くの著作の執筆や推敲を重ねる。

90歳、京都で亡くなる。

 

親鸞の主な重大出来事

1:親鸞は29歳の時に比叡山を下り、聖徳太子の創建と伝わる六角堂へ100日間参籠し、聖徳太子の本来の姿である救世観音より夢告を受けました。

★重文 聖徳太子立像(孝養像)鎌倉時代(14世紀)茨城県・善重寺蔵 鎌倉時代の色彩を今に伝える太子像。

 

★重文 本願寺聖人伝絵(康永本)上巻(部分)親鸞が六角堂にこもって修行しているところ。三十三回忌にひ孫の覚如親鸞の一生を絵巻物にした。

 

恵信尼書状類」には、親鸞の没後に、妻の恵信尼が娘の覚信尼に宛てた手紙の中で、親鸞比叡山で堂僧を勤めていたことや、六角堂へ参籠し95日目の明け方に救世観音より夢告を受け、そのお告げがきっかけで、法然の弟子になったことなどが記載されています。法然勢至菩薩親鸞観音菩薩というお告げだったとのことです。

★重文 恵信尼書状(部分)恵信尼筆 京都西本願寺蔵 (妻がつづる在りし日の親鸞

 

2:29歳 法然上人の弟子となり念仏の教えに出会う。

★重文 快慶作「阿弥陀如来立像」鎌倉時代(1221)奈良・光林寺蔵 親鸞と同時代に造られた快慶最晩年の優品

 

「すべての人は等しく救われる」。ただ「南無阿弥陀仏」(阿弥陀仏にお任せする)と唱えるだけで浄土に行くことが出来る、という教えを広める。

重要文化財 歎異抄 巻上下(部分) 蓮如筆 室町時代(15世紀)京都 西本願寺 今残っている写本の中で最古のもの

親鸞といえば「歎異抄」。親鸞が語った言葉とその解説が書かれています。親鸞の教えを曲解するものが現れたことを嘆いた門弟によって書かれました。「善人なをもて往生をとぐ。いはんや悪人をや」「親鸞は弟子の一人ももたずさふらう」などの有名な親鸞の言葉と、異義に対する批判を記しています。

今回の展示は蓮如が書き写した現存最古の写本です。末尾には他の写本では見られない流罪の記録もあります。

また親鸞は「弟子一人ももたずさふらう」と記されていますが、実際は多くの人々が帰依しています。親鸞は弟子とは思わず、仲間と考えていたのかもしれません。

昭和を代表する司馬遼太郎さんは「無人島に1冊の本を持っていくとしたら『歎異抄』だという有名な言葉がありますね。

 

3:35歳 罪人となり法然親鸞など流罪になる。その教えに反対する朝廷や教団などに批判を受け弾圧を受ける。

旧来からある「念仏」は常行三昧、不断念仏として守られてきた。死にもの狂いの修業が必要という考えなのです。しかし法然上人によって「口に出して念仏を唱えれば浄土に往生できる」との教えは受け入られず、弾圧の対象になったのです。その教えの後継者である親鸞は「専修念仏」の教えを広めたゆえに罪人となりました。

39歳で罪を許されるが関東で専修念仏の教えを広める。

 

4:52歳ころ、『教行信証』の執筆がほぼ完成。

親鸞筆 国宝『教行信証』(坂東本)鎌倉時代(13世紀)京都東本願寺

親鸞が自分の考えをまとめてあらわした本。自筆の文字はおおらかで、謙虚な人柄を表すように、読みやすく一文字一文字が大きく書かれているように感じました。人々に寄り添うような文章なのでしょう。読めないのが残念です。墨や朱で推敲した跡がびっしり。親鸞が亡くなるまで手直しした跡が見られます。弟子たちによって写され、受け継がれ、浄土真宗にとって最も大切な根本聖典となりました。

 

5:84歳親子の縁を切る

重要文化財 善鸞義絶状 顕智筆 鎌倉時代 嘉元3年(1305)三重 専修寺

関東で教えを曲解するものが現れたため、息子の善鸞(ぜんらん)を派遣し事態の収拾を図りますが、その善鸞が誤った教えを説いていることが発覚。84歳にして親子の縁を切ることになりました。それを門弟に周知したのが「善鸞義絶状」です。「あさまし」「かなしき」「こころうき」など親鸞の心情を表す悲痛な言葉がならびます。

 

その他の名宝の数々

親鸞聖人坐像(83歳の姿) 南北朝時代(14世紀)三重県専修寺蔵 高さ30cmくらいの小さいお像ですが、リアルで迫力があり、威厳あふれる親鸞

 

★国宝 親鸞聖人影像(安城御影副本)(部分)(賛・裏書)蓮如筆 室町時代(15世紀)京都・西本願寺蔵 (83歳の風貌)

 

★国宝 三十六人家集(忠見集)平安時代(12世紀)京都・西本願寺蔵 

平安貴族の美意識の結集

 

★「櫻花図」(松・藤花図のうち) 望月玉東筆 京都・東本願寺

東本願寺御影堂の大衝立

 

★重文 本願寺聖人伝絵(康永本)巻下末 往生の場面(部分)(詞書)覚如筆(絵)宗舜筆 親鸞没後三十三回忌に制作された『親鸞伝絵』

浄土真宗は大きく発展し数多くの名宝が伝来します。親鸞の教えは宗派の枠を超え多くの人々に影響を与えました。

2023年3月28日 京都平安神宮・神苑の紅枝垂れ桜を見て来ました

うららかな春の一日をまずはお花見で楽しむことにしました。

 

神苑では桜がちょうど満開とのニュース。

3月25日から始まる「親鸞 生涯と名宝」展に行くことにしていましたので

まだ桜の時期には行ったことのない平安神宮神苑に行ってみることにしました。

 

聞きしに勝る~天蓋のように降り注ぐ淡い紅色のしだれ桜や、池に映る桜などうっとり、みやびで華やかでした。

 

およそ300本もの桜がある神苑で、やっぱり最も彩りを添えるのは淡い紅しだれ桜でした。

お庭が広々としていましたので、人が多い時期なのにそんなに混雑は感じませんでした。

素晴しい庭園の奥には花菖蒲がびっしりと植えてありました。またお花が咲くころになりましたらゆっくりと散歩をしてみたいと思います。

 

トリビヤ

平安神宮は遷都1100年を記念して明治28年に造営されました。

神苑は7代目小川治兵衛の作庭。西神苑は白虎池、中神苑は蒼龍池、東神苑は栖鳳池と

それぞれ池を中心に、紅枝垂れ桜、花菖蒲など四季を通じてお花を楽しめるとのこと。

 


追伸
「花より団子」なのに~(笑)ご馳走のお写真を撮るのを忘れ食べ終わってしまいました。トホホ

2023年3月「川瀬巴水(かわせ はすい)―旅と郷愁の風景」展 三重県・パラミタミュージアムに(3月28日まで)行ってきました♪

スティーブ・ジョブズも魅了したという旅情詩人・川瀬巴水(1883-1957)の木版画の展覧会に行ってきました。

巴水を見るのは今回で何度目になるでしょう、大ファンの版画家なのです。

 

なかでも一番好きな版画は「上州法師温泉」1933年(昭和8年)の作品!

両手を広げ、足を浴槽のふちにかけて~、まぁなんてのんびりと湯を楽しんでいることでしょう。自然に笑みが広がってしまいます。(笑)

なんとこの作品は、かのアップル・コンピュウターのスティーブ・ジョブズ氏お買い上げです。彼は日本の新版画がお好きで、中でも特に川瀬巴水のファンだったそうです。

 

今回の展覧会はパラミタミュージアム開館20周年を記念したもので、巴水の生涯をたどった279点に及ぶ大展覧会でした。

3部構成になっており、その中からほんの一部ですがご紹介したいと思います。お写真はチラシとネットからお借りしました。

第1部

版画の制作を始めた頃から関東大震災が起きるまで

巴水、ふるさと東京を描く『東京十二題』より

★《月嶋の渡舟場》1921年

 

第2部

震災を経て変化した作風

震災から立ち上がって世界的視野で日本の風景を描く。

「旅情詩人・巴水」名声の確立

東京二十景』から

★《芝増上寺》1925年

★《馬込の月》1930年

 

「昭和の広重・巴水」独自の視点から見た東海道風景『東海道風景選集』から

★《日本橋(夜明け)》

 

『日本風景集Ⅱ関西篇』から

★《二見ヶ浦》1933年

 

第3部

太平洋戦争前後から晩年まで

巴水、新境地を開拓、円熟期へ

スランプから脱出

『朝鮮八景から』

★《金剛山三仙巖》1939年

 

旅を愛し、日本の原風景を描いた巴水。

★《増上寺之雪》1953年

 

★絶筆《平泉金色堂》1957年

 

スティーブ・ジョブズと巴水

ジョブズの「美」の原点から

★《上州法師温泉》1933年

★《西伊豆木負》1937年

今回はまだ見たことがない作品がたくさんありました。

やっぱり旅情作品に惹かれましたね。広重、北斎も素晴らしいけど巴水もホントにしみじみと楽しめました。

2023年1月「ゴッホ・アライブ」旧名古屋ボストン美術館に行ってきました~(^^♪


名古屋市の金山南ビル美術館棟(旧名古屋ボストン美術館)で12月10日開幕した「ゴッホ・アライブ」という美術展。展示室はすべて撮影OKでした。

この美術展はゴッホの名作3000点以上が壁や柱、床などに映し出される不思議な展覧会!実作品がない展覧会?!

そして入場料2500円はびっくり!高くないですか~?!

でも~!好奇心に駆られて行ってきました。

通路の壁に描かれた絵

通路の壁に描かれた絵

迷路のようないくえにも曲がった通路は光り輝いていました。

 

再現された部屋でゴッホの椅子に座ってお写真を撮っています。

 

フィンセント・ファン・ゴッホの生涯、オランダ時代からピストル自殺をするフランス・オーヴェール=シュル=オワーズまでの歴史に沿って作品が映し出されていました。

 

オランダ時代

 

パリ時代

 

アルル時代

友人のゴーガンを待ちながらアルルの家を飾るために一連のヒマワリの連作に取り掛かった。

ヒマワリの部屋の天井にも・・・ヒマワリがびっしり~

 

サン=レミの療養院時代

星月夜

療養院から見たサン=レミの町。不安定な筆使いと渦巻く空は、ゴッホの混乱する心の内を表しているかのよう。

ゴッホの発作は次第に強くなり、暴力的になったり、絵の具を飲み込んだり自傷的行為に及んだ。

花咲くアーモンドの木

1890年1月31日弟・テオの妻・ヨーが男の子を出産。

ゴッホはまだ療養院におり、回復しつつあるところだった。「フィンセント」というゴッホと同じ名前を付けられた甥が生まれたことに感動し、この絵を描いた。

 

オーヴェル=シュル・オワーズ時代

《カラスの飛ぶ麦畑》

1890年7月27日、町をこえて麦畑まで歩いて行く。そこで自らを撃った。

ゴッホ自身は「どうしようもない悲しみと云いしれぬ孤独」の反映と語っている。

7月29日駆け付けた弟・テオの腕の中でこの世を去った。

 

ゴッホをあまり知らない人も、そしてまだ見たことのない門外不出?の作品など映像ではあるけれど見ることが出来るので、よく知っている人にも一見の価値ありかも。

バックに流れる音楽がステキ。

サティ「ジムノペディ」、ドリーブ「花の二重唱」、サン=サーンス「死の舞踏」などゴッホの作品に寄り添った選曲が素晴らしい!

ゴッホの向かう道~それは自死。音楽で一層胸に迫ってきて・・・

ソファで寝転がったり、歩いたり、自由に楽しむことができるようになっていました。

大型の細密映像に囲まれ、迫力のクラシック音楽とともにゴッホの世界を味わうのは初めての体験。世界70以上の都市で850万人が訪れたそうです。名古屋の次は神戸に巡回します。

 

オーストラリアの企画会社、グランデ・エクスペリエンセズが開発したゴッホ・アライブは、最新技術のマルチチャンネル・モーショングラフィックスと映画館品質のサラウンド音響、そして高精細のプロジェクター40台あまりを組み合わせているそうです。

 

ゴッホの絵は色彩が美しい!もともと好きな画家でしたので珍しさもあって楽しい時間を過ごすことができました。

ゴッホの芸術、生涯、時代背景を新しい形で感じることができますから行って良かったかなって。

奈良旅行その2 薬師寺・食堂(じきどう)の障壁画を訪ねて~(^^♪

お正月三が日には国宝の「吉祥天女画像」特別公開、食堂(じきどう)特別公開、国宝東塔水煙公開、玄奘三蔵院伽藍公開など盛り沢山でした。

国宝吉祥天女画像(左)と 平成本・吉祥天

何年かぶりの薬師寺

焼失した食堂(じきどう)が再建されていました。

平成29年(2017年)に再建されまだ目新しい~。

すでに亡くなられた高田好胤管主が、白鳳伽藍復興を呼び掛けて50余年、ついに完成しました。

 

創建当初の食堂(じきどう)は730年(天平2年)頃に建てられ、973年に焼失して以来再建の記録が残っているものの詳細は不明なのだそうです。

 

今回復興した食堂(じきどう)には仏教伝来の歴史を描く全長約50mの壁画「仏教伝来の道と薬師寺」14面が奉納されています。

描いたのは、愛知県立芸術大学で教鞭をとられたことのある日本画家の「田渕俊夫」さんです。

食堂(じきどう)の中央にはご本尊「阿弥陀三尊浄土図」、6m四方もある日本最大の壁画が奉納され、その両脇に壁に沿って、仏教が中国の長安を通って日本の飛鳥に上陸し、藤原京平城京薬師寺へと到達した様子が描かれています。

配置図

おもな作品

1:「旅立ち」 遣唐使一行が中国・長安から文物や仏法を携えて日本に戻ろうとする場面、左奥の塔は中国・長安の大雁塔です。

旅立ち(部分)

2:「遣唐使船」

遣唐使船(部分)

 

3:「大和へ」

大和へ(部分)

4:「瀬戸内」 東シナ海玄界灘を経て瀬戸内へと。鳴門の渦潮が描かれています。

瀬戸内(部分)

5:「帰帆」

帰帆(部分)

食堂ご本尊 「阿弥陀三尊浄土図」

阿弥陀三尊浄土図(部分)

 

7:「大和川」 奈良・桜井市金屋あたりが船着き場で、仏教伝来の地とされています。

大和川(部分)

9:「うねび」

うねび(部分)

10:「耳成山(みみなしやま)」、二上山(ふたのかみやま)が見えてきました。

みみなし(部分)

11:「藤原京」 薬師寺、大官寺、橘寺、川原寺を描き、仏教が日本で花開いたことを表しています。

飛鳥寺院幻想(部分)

12:平城京 薬師寺

平城京 薬師寺(部分)

 

天平当初の食堂は、仏の教えを実践する僧侶の生活の場(食事をするなど)であり、仏教儀礼などが行われました。今は法要、法話など多目的に使われているそうです。

 

一歩中に入るとそのあまりの崇高さに思わず佇んでしまいました。

とても美しい絵です。機会があれば是非一度ご覧になってください。