過日、名古屋市博物館特別展「画僧 月僊」を見て来ました。
この展覧会で、江戸時代中期に、我が出身地の名古屋生まれで、画才を生かして社会福祉に尽くした僧侶がいたことを初めて知りました。
三重県伊勢市・寂照寺住職「月僊」(1741-1809)です。
驚いたことには月僊は「お金に汚い和尚さま」と思われていたことです。
と言うのは、月僊は作画の代金を必ず請求したり、絵を描く前に「いくらの絵を描きましょうか」とたずねたりしたのです。
実はそのお金はお寺の復興や川の架橋、貧民救済に尽力など、様々な社会福祉事業に使ったのです。
それ故、僧侶として信仰と弱者救済に生きた月僊の絵は優しい眼差しにあふれています。
月僊の絵が全国に広まったのはお伊勢参りのお土産に月僊の扇子絵が売れたからだそう。
風景や花鳥、動物など何でも器用に描いた絵の中から、特に月僊のお人柄がしのばれる作品をご紹介したいと思います。
「月僊顔」と呼ばれるユーモアある個性的な人物画
《朱衣(しゅえ)達磨図》個人蔵
真正面をじっと睨む迫力ある達磨像。
大きな鼻やへの字にまがった口はユーモラス。
でもよく見ると目頭の充血など目の描き方はじっくり丁寧。
愛嬌のあるユニークな神様や仙人など、漫画のような作品から。
《恵比寿図》三重県立美術館蔵
離れた両目でにたりと笑う顔は一度見たら忘れられない!インパクト大。
でもやっぱりよ~く見ると腕の筋肉の付き方、小脇に抱えている鯛などはとてもリアル。
《馬師皇図(ばしこうず)》個人蔵
龍の病気を治したと言われる伝説的な馬医・馬師皇(ばしこう)。
口をぽっかり開けて、医者にすべてをゆだねる愛らしい龍。
甘えた龍の目が可笑しくって。(笑)
《釈尊図》個人蔵
お釈迦様の蓮華座を支える邪鬼たち。
邪鬼はふつう、四天王などに踏みつけられていますが、この絵はお釈迦様の下敷きになっています。
月僊のユーモアと様々の人々を教え導いた優しい心が反映されている一枚です。
《琴棋書画図(松下百老)》(部分)桑名市博物館蔵
長寿のお祝いの席でしょうか。
白髪、白ひげのおじいちゃんたちが琴、囲碁、書道、絵画を楽しんでいます。
一人として同じ顔、同じポーズの人はいません。
群像表現も見事な月僊です。
《仏涅槃図》三重県寂照寺蔵
釈迦の死の光景を描いた涅槃図は涅槃会の本尊として必要ものです。月僊は浄土宗の画僧として沢山の涅槃図を手がけました。
古い時代の図像を生かしながら個性を出しています。例えば菩薩たちが取り乱したり、金剛力士が駄々っ子のように泣き叫んだり、顔を歪ませて悲しんだりしているところが月僊オリジナルでしょうね。
寂照寺の月僊の豊かな交流と温かなまなざし
★《百盲図巻》(部分)寛政初期頃 京都知恩院所蔵
優れた画家でもあった伊勢長島藩主・増山雪斎の注文で制作。
目の不自由な人の行進を描いていますが、決して茶化しているのではありません。迷いながら生きている人々に仏の恩徳を説いた月僊の人柄がしのばれる作品なのです。(説明文より)
巻末では、盲目は天が与えた一つの特徴であり、何かが欠損している訳ではないと説いています。
これは盲人の姿を借りて無明の闇にさまよう信仰無き人間の実存を揶揄している作品です。
《僧形立像(伝自画像)》天明後期 三重県立美術館蔵(小津家旧蔵)
月僊は知名度こそ低いのですが、江戸中期、円山応挙、与謝蕪村、池大雅、曽我蕭白、伊藤若冲、長澤芦雪等が活躍した日本絵画の黄金期に活躍した一人です。