京都国立近代美術館「円山応挙から近代京都画壇へ」2019年12月15日迄
円山応挙(1733-1795)をご存知でしょうか?
江戸時代中頃、京都で最も人気のあった絵師です。
美しすぎるくらい優美な、わかりやすい、親しみのある画風で一世を風靡した人です。
山跡鶴嶺筆《円山応挙像》個人蔵
応挙は弟子に自分の肖像画を描かせ、最も似ていた山跡鶴嶺の作品を子孫に伝えたとされています。
1000人もの弟子を持ったと云われるだけあって、品良く穏やかな応挙の性格や様子が伝わってくるようですね。
その応挙に影響を受けた絵師は数知れず、近代の日本画にまで影響を及ぼしています。
例えば四条通りに住んでいたことから「四条派」と呼ばれた呉春、虎の絵で有名な「岸派」、猿の絵の「森派」です。近代で応挙に学んだ画家は竹内栖鳳、上村松園などです。
何と言っても今回の目玉作品は応挙が息子・応瑞、門人など13名を率いて描いた、兵庫県香住町にある大乗寺(応挙寺)に奉納した貴重な襖絵です。その一部が大乗寺客殿そのままに再現展示されたことでしょう。
ずっと以前から大乗寺に行きたいと思いながらいまだ実現していません。というのは遠くて名古屋からは6時間くらいかかるのです。
香住町は松葉かにで有名な所です。いつかすべての襖絵を見て、美味しいカニを堪能したいと願いつつ・・今回はほんの一部でも拝見したくて出掛けて来ました。
大乗寺襖絵 配置図
京都で約24年ぶりに公開される兵庫・大乗寺の豪華絢爛な襖絵。お寺の雰囲気を再現した立体展示。すべて重要文化財です。
山水の間 円山応挙筆《山水図》1787年(応挙54歳)
芭蕉の間 円山応挙筆《郭子儀図》1788年(応挙55歳)全8面のうち4面
唐子たちが遊ぶ芭蕉の葉の緑色が金地に映えますね。郭子儀は中国唐代の名将です。子孫が繁栄したので縁起が良い主題となりました。
孔雀の間 円山応挙筆《松に孔雀図》1795年(応挙63歳亡くなった年)全16面のうち4面
墨一色なのに緑、茶色など色彩豊かに見えました。墨の色にも色々あって緑系、茶系など使い分けたそうです。孔雀の華麗な羽、松の葉を墨の濃度や筆致を使い分け見事に表現しています。
仏間 円山応瑞筆《蓮池図》
応挙の長男で円山派2代目
円山応挙筆《写生図鑑》(甲巻、乙巻)1770年―72年 株式会社千總蔵
巻物に貼り込まれた写生図。速写スケッチを清書してできた。博物図譜のように正確で、「リアル」を追求する応挙の姿勢がうかがえます。円山派の原点であり、弟子たちの手本となった。
「写生画」にはじまる応挙独自の巧みな画風。当時、主流だった狩野派のように架空の動物、例えば龍、鳳凰などを描くのではなく、生き生きとした動きのある動物をじっくり観察し、毛の1本1本を写し取ろうとしました。モフモフしてなんて可愛いのでしょう!
応挙の絶筆(63歳)
京都桂川のうち現在の亀岡市から嵐山までの急流を保津川と言います。滝から流れ出す迫力のある川の流れからは水の流れの音が聞こえてきそうです。(部分)
岸駒(がんく)筆「松虎図」江戸時代後期 角谷保存会蔵
岸派の御家芸の虎ですが、よく見るとこの虎、実物とは異なる点が~。
それは「目」。虎の瞳孔は丸いため収縮してもこのように縦長にはならないとか。当時、実物の虎はまだ日本にはいませんでしたので、虎の毛皮や同じネコ科の猫をモデルにしたそうです。爪が鋭い~~~!
歌舞伎や浄瑠璃のラブストーリー「朝顔日記」のヒロイン・深雪。想い人が扇に書いた歌を見て思い出に耽っていたところ、人の足音にはっとして扇を隠す”瞬間”を鮮やかに切り取った作品です。
菊池芳文筆《小雨ふる吉野》大正3年東京国立近代美術館蔵
「桜の名手」と言われた芳文の桜は圧巻。一枚一枚丁寧に描いた桜の花と左右に広がる大胆な構図が素晴らしい。
火かき棒と炭の破片が炉辺を表し、2匹の仔犬はその暖かさに心地よい表情を浮かべているようです。ふんわりした毛並みは柔らかい線、淡い色で表されている。応挙よりもさらに簡素なスタイルを確立しました。