名古屋城西の丸御蔵城宝館 企画展「本丸御殿に秘められた意味―将軍たるもの、清貧であれ、人格者たれー」2022年12月18日まで

まだ目新しい昨年11月にオープンしたこの御蔵は、江戸時代には年貢米などを収納する御米蔵でした。6棟あったうち三番蔵と四番蔵を復元したものです。

三番蔵には名古屋城の歴史を常設展示、企画展などと、ミュージアムショップ、四番蔵には重要文化財「旧本丸御殿障壁画」、戦災消失前の「昭和実測図」、「旧名古屋城写真原版」など貴重な文化財を収蔵しています。

さてこの展覧会では、本丸御殿の上洛殿を飾っていた襖絵のうち13面と昭和20年の空襲を避けて、前もって取り外された飾り金具や天井画なども一部展示されています。

今回展示された襖絵は、江戸幕府お抱えの天才絵師、狩野探幽(1602-1674)が33歳のときに描いたものです。

祖父・狩野永徳が画面をはみ出すほどの圧倒的な迫力のある大画様式を目指したのに対し、探幽は叙情性のある、余白を重視した優雅な画面です。

タイトル「本丸御殿に秘められた意味・・・・・」ってどんな秘密があったのかしら???興味津々!それでは早速作品を見ることにしましょう。(全作品撮影フリーです)

すべて第二次世界大戦の空襲から守られた重要文化財寛永11年(1634)、狩野探幽筆です。

★帝鑑図襖絵(高士こうし)

高士とは人格高潔な人の意味。

今回はこの1面だけの公開でしたが、右の面(高士)は展示されませんでしたので参考に私が持っている史料からアップします。

 

★帝鑑図襖絵(褒奨守令ほうしょうしゅれい)

褒奨守令とは

宣帝(前漢時代の十代皇帝)は「地方を治める官吏こそ国が治まる基本である」とし、勤勉な地方官吏には金品を与え報いた。

探幽の描いた襖絵には、宣帝が宮殿に官吏を召し、褒美を与えている場面が描かれています。

 

★帝鑑図襖絵(明弁詐書めいべんさしょ)

明弁詐書とは

前漢時代、八代将軍・昭帝は14歳の若さで帝となり賢臣・霍光(かくこう)を大将軍として重用した。それを妬んだ一派が霍光(かくこう)の罪を列挙した文書を捏造したが、昭帝は偽りの書と見破った。

襖絵は死罪を覚悟し、頭を垂れる霍光に昭帝が謁見する場面。

探幽は帝の座を光に囲まれた舞台とし、さらに帝を聡明な人物に描いた。

 

 ★帝鑑図襖絵(蒲輪徴賢ほりんちょうけん)

蒲輪徴賢とは

前漢七代皇帝・武帝は老齢の儒学者・申公(しんこう)を招こうと、車をつかわした。道中、不快を減らすため蒲(ガマ)の穂で車輪を巻かせ、また布に壁玉(へきぎょく)を添え従者に持参させ礼を尽くした。

探幽は申公(しんこう)の家を茅葺きとし、質素堅実であった彼の人格を暗示している。30歳前半の探幽は驚くべき読解力を持っていますね。

 

 

 

今まで色々な所で帝鑑図を見てきましたが、今回初めて絵の意味を知りました。

タイトルが示す「将軍たるもの、清貧であれ、人格者たれ」をわかりやすく絵画化したものだったのですね。

 

帝鑑図は10歳で即位した中国明時代の幼い万暦(ばんれき)帝のために書かれた挿絵入り教育書だったのです。その書物『帝鑑図説』には中国歴代の帝王の善政81話と悪政36話が収められています。

 

三代将軍家光という日本での最高職の為政者が目指すべき政治の理想をこの襖絵に秘めたのですね。

 

将軍たるもの、清貧であれ、人格者たれ!!!