クリムト展 ウィーンと日本1900 豊田市美術館 2019年7月23日~10月14日迄
「世紀末芸術」という言葉をご存知でしょうか~?
それは19世紀末から20世紀初頭のウィーンで起こった芸術運動を表す言葉です。
この時期、ウィーンでは絵画だけにとどまらず建築からファッション、デザイン、音楽、精神医学などあらゆる領域を超えた独自の装飾性豊かな文化が花開きました。
この展覧会はウィーン世紀末の画家・グスタフ・クリムト(1862-1918)没後100年を記念して開かれました。
クリムトは貧しい金工師の家に生まれ、14歳から職人を養成する学校で学びました。
腕の良い職人から一躍人気画家となったのは26歳の時、ハプスブルク皇帝の公共事業、ブルク劇場の天井画で勲章を授与されてからです。
その後35歳の時、保守的なウィーン画壇から離れ、「ウィーン分離派協会」を設立。以降、甘美で官能的な装飾美「黄金様式」という金や貴石を用いた絵画作品を発表しました。
あの最も有名な《接吻》は金を扱いなれているからこそ出来た傑作ですね。(ただし今回は来日していません!残念)
金は腐らず、色褪せることがないので、金を使って永遠なるもの、聖なるものを描こうとしたのでしょうか。世紀末にはジャポニスムの波が欧州に押し寄せ、日本の金屏風や工芸品にも影響されたそうで、そういった小物作品も展示されていました。
私が特に気になった作品をご紹介したいと思います。
★《ベートーヴェン・フリーズ》1901年~02年(明治34-35)ウィーン・分離派協会蔵
ウィーン分離派会館を飾る全長34mにもおよぶ壁画です。壁画ですから当然持ってこられませんので精巧な複製による再現展示です。1984年制作の原寸大の複製が設置され、間近で見られました。
黄金の騎士が幸福を求めて敵に向かい楽園にたどり着くまでの旅の絵物語です。
悪意に満ちた敵対勢力→中央にギリシャ神話の怪物・テュフォン、左側に病気、狂気、死の寓意のゴルゴン三姉妹、右側に太ってアクセサリーをどっさり着けている女性は不摂生、その上の淫らなポーズの女性は淫蕩、肉欲の寓意像。人間の欲望を表しています。
最後にはそれらの欲望を乗り越えて天使たちの喜びの合唱→クライマックス「歓喜の歌」
接吻を交わす男女→抱き合う二人は「人類愛」、頭上の天に立ち上がる黄金の炎は「神」と人とのつながりを示しているとのことです。楽園に到達。
黄金の騎士が幸福を求めて敵に向かい旅立つところです。
悪意に満ちた敵対勢力→ギリシャ神話の怪物・チュホン、病気、狂気、死、欲望
左側に病気、狂気、死の寓意のゴルゴン三姉妹、右側に太ってアクセサリーをどっさり着けている女性は不摂生、その上の淫らなポーズの女性は淫蕩、肉欲の寓意像。人間の欲望を表しています。
抱き合う二人は「人類愛」、頭上の天に立ち上がる黄金の炎は「神」と「人」とのつながりを示しているとのことです。楽園に到達。
そのほかの主な出展作品
初来日《女の三世代》1905年171×171cm ローマ国立近代美術館蔵
バラ色の頬で健やかに眠る赤ちゃんと赤ちゃんを抱く若く美しい裸の女性、その後には年老いた女性がうなだれている。誕生から成熟、死に向かう老齢まで、女性がたどる人生を裸体で描き分けています。人間の生命や死、老いなどを扱っています。
《ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)》1899年(明治32)オーストリア演劇博物館像 252×55.2cm
真実を映す鏡を持った女性の寓意像。
この絵は、保守性に反発した若い芸術家たちの時代にふさわしい、真の芸術を求める意思表明でした。また自由を求める新興階級の女性の人気を集めました。
《ユディトⅠ》1901年(明治34)84×42cm ウィーン、ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館蔵
男を誘惑し、その首を取る旧約聖書外典に登場する女性、ユディト。
左手に男の首をもって官能的な喜びに浸っている。男を破滅させる女性。
クリムトが金色を多用した「黄金時代」の始まりの作品。工芸品のような美しい額縁はクリムトがデザインし、彫金師の弟ゲオルグが制作。
《オイゲニア・プリマフェージの肖像》1913、14年(大正2年)140×85cm 豊田市美術館蔵
一斉に咲きだした春の花のような色彩。クリムトは晩年になると黄金様式は影を潜め色彩豊かに。
オイゲニアは銀行家の夫人でクリムトやウィーン工房の支援者。
クリムトは19世紀末のウィーンに住むブルジョアたちに引っ張りだこの人気肖像画家。
風景画《アッター湖畔のカンマー城Ⅲ》1909、10年頃ベルヴェデーレ絵画館蔵
生涯のパートナー、エミーリエ・フレーゲと過ごした湖。
入籍はしませんでしたが人生の最後には「エミーリエを呼んでくれ」と言っています。
クリムトの風景画はあまり知られていませんが、油彩画200数十点のうち風景画は50点。そのほとんどがアッター湖で完成させたものだそうです。
クリムトは55歳で亡くなるまで、自分の作品についてほとんど語らず、「私のことを知りたいならば、絵を見て欲しい」と言っていました。