久しぶりの旅行に九州を選んだ目的は二つありました。
一つは九州国立博物館「北斎展・特別公開日新除魔図」を見ること。
そしてそこからタクシーで10分ほどの「観世音寺」の仏像群(宝蔵)を見ることでした。
大宰府は九州統括の政庁として設置され、外交出先機関の役割を果たしました。(資料より)
奈良時代、鑑真和上が立ち寄り、かの有名な最澄や空海も遣唐使船に乗って唐へ、そして唐から日本に帰ってきたとき、このお寺・観世音寺で過ごしました。また菅原道真はこの政庁に左遷されたことでも有名ですね。
お寺の宝蔵には素晴らしい重要文化財の仏像群が安置されています。中には高さが3m~5mもある巨大仏像が並んでいます。
体感すれば~~~その仏像の大きさと言ったら!!!驚き、圧倒されました。(お写真はちらしより)
館内には仏像の説明の放送が流れていて、それを聞きながら九州随一の仏像群を拝観できるのです。
とにかく大きい。「大きいことは良いことだ?!」
それは何故でしょうか~?
古代に大きな役割を担った大宰府の土地柄でしょうか?
古代日本の大陸への表玄関にふさわしく圧倒的でありたい~?
大宰府政庁と観世音寺の巨像仏像群がその役目を果たしたのではないでしょうか?
ではまずは5メートル級の巨像をご紹介します。
★重文 馬頭観音菩薩立像 像高5.03m 平安時代(1126-1131年ころ)
馬頭観音といえば観世音寺、観世音寺といえば馬頭観音というほど有名。
寄木造で表面は金色に輝いています。頭に馬頭観音のシンボルである馬の頭をのせています。
もともとインドでは馬は草をよく食べるので、悩みもみな食べ尽してくれる聖獣の一つとみなされていました。無知、煩悩を排除し、あらゆる悪を打ち払うため菩薩様なのに忿怒の形相をしています。怒りの激しさによって、人々を苦しみから救い出すといわれている頼もしい仏さまです。
四面八臂(しめんはっぴ:顔が4つで腕が8本)で、各お顔の額には第3の目がついています。眉を太く盛り上げ、力むように小鼻を膨らませています。
でも正面から見ると目を伏せうつむき加減。
優しさが浮かんでいるように見えませんか~。
このお像は馬頭観音像の中でも最古の部類のものと云われ、特に傑作とのこと。
なお解体修理のとき、部材に結縁者大仏師・眞快、明春らの名前が記されていました。
★重文 不空羂索観音菩薩立像 像高5.17m 寄木造 1222年
手が8本あり、垂れ下がった左手に持つ羂索(けんじゃく:古代インドで使われた狩猟用の縄)であらゆる人々の悩みや悪業を逃がさず、救済してくれる観音様です。
このお像が作られたのは鎌倉時代ですが、当初は塑像でした。転倒により壊れたため、造り直されたものだと、大正3年(1914)の解体修理で判明しました。
胎内から心木や経典などが見つかり、また墨書銘から大仏師・僧琳厳らによって1222年に木造に造り直されたものです。(資料より)
★重文 十一面観音菩薩立像 像高4.98m 木造 1069年(平安時代・延久元年)
お像の左肩付け根に墨書発見、これが造立年代を示すと考えられています。
また胎内の背面にたくさんの血縁者名が記されています。僧俗を超えた人々の厚い想いによって造立されたことが窺い知れます。
銘文から仏師は甲斐講師・暹明と考えられています。
柔らかな表情の観音様で、やさしい慈愛に満ちたふくよかな表情・お姿をしています。年代から見ても間違いなく定朝様式でしょうね。
その他の仏像
★毘沙門天立像 像高1.60m 一木造り(9~10世紀ころ)
観世音寺に現存する仏像の中で最も古いもの。大宰府の羅城門かその他の城門に安置されていた可能性があるとか。
地天の両手に支えられている毘沙門天を兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)といいます。
中国の鎧を身に着け、思いっきり体をひねり、両袖を外側に翻させいます。お顔は眉を太く盛り上げ、大きな目や小鼻を膨らませているさまは威圧的ですね。
やっぱり大陸に向けての表玄関に相応しくしたのではないでしょうか~。
地天の左右から顔をのぞかせているのは、尼藍婆(あまあいばば)と毘藍婆(びあいばば)。この表情も面白くて見逃せない。
★重文 吉祥天立像 像高2、155m 木造 平安時代後期
袖口や手先、彩色に江戸時代以降の補修が施されています。
平安時代の吉祥天像の代表作例で、また同時代中最大のお像。
吉祥天は福徳を授ける女神。また天下泰平、五穀豊穣を祈る修法の本尊として信仰されていました。観世音寺でもこうした修法(悔過会・けかえ)が行われていたことがこのお像からうかがえます。(資料から)
★重文 四天王立像(木造 平安時代後期)と邪鬼
けなげに踏みつけられている様子が愛らしい~~~!
拝観者も少なく静かな空間でじっくりと時を過ごせました。
何度でもお訪ねしたいと思います。